菊池真代

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神奈川県生まれ。学生時代を湘南・千葉で過ごす。東京での社会人生活を経て、2019年に福岡へ。人生初の地方暮らしで様々な価値観やライフスタイルに触れる。本業はHR業界で採用支援や転職支援など。その他、ライター&インタビュアーとして活動中。

ふるさとが複数できた話 福岡編

こんにちは!flatoインタビュー企画「移住者に聞いてみた」で、ライターを担当している菊池真代と申します。前回の記事「ふるさとが複数できた話 神奈川編」では、人生初の地方暮らしを経て感じた孤独と、そこで気づいたふるさと・神奈川への想いについて綴りました。 その後、孤独を乗り越え徐々に福岡の良さを知るようになり、そして今春、2年間の月日を経て福岡を離れることになりました。 今回はこの福岡生活を振り返りつつ、「ふるさとが複数できた話」をお送りしたいと思います。 「その土地を知っている」からこそ生まれる安心感 この春、私は新たなステップを踏み出しました。勤めていた人材紹介会社を退職し、地元関東に戻ることになったのです。福岡にいた間、慣れ親しんだ関東に戻りたいという気持ちが全く無かったと言えば嘘になりますが、ようやく福岡に馴染んできたこのタイミングで、敢えての決断です。 約2年過ごした福岡を離れることになり、改めて「今の心境は?」と聞かれると、寂しさよりも安心感の方が上回るかもしれません。 なぜなら、福岡のことをすでに知っているから、だと思います。この2年で、自分の新たな居場所に対して徐々に心を開き、そして安心感を抱くようになりました。人見知りで臆病で環境にこだわりのある私が、知らない土地で生活する上での絶対条件は、そこに「安心」できるか否か。今後もし福岡で再び暮らすことがあったら、「安心感」がそれを可能にするのだろう、そう思います。 日本の中心地・東京で働くことへのこだわり 福岡に住むようになったきっかけは会社の転勤。全国転勤があると認識はしていたものの、縁もゆかりもない土地で一人で生活することに抵抗があり、若干不本位な人事配置でした。 元々、東京タワーや東京駅周辺の高層ビルなど、「首都圏を象徴する都市景観」を眺めること、そしてその雰囲気を肌で感じることが好きでした。地方暮らしに抵抗があったのは、エネルギーが集約されている日本の中心地・東京で働くことになぜかこだわりがあったため。そして、そのこだわりの強さから、「何もないであろう」と地方生活を受け容れられずにいたのです。 2年間で次々に発掘された福岡のよさ 福岡生活が始まって数ヶ月は、”見知らぬ土地にポンッと放り込まれた自分の境遇”を哀れんでばかり。しかし、徐々に福岡の地を知っていくうちに「何もない」という私が勝手に作り上げた思い込みはことごとく覆されるように。福岡の良さを身をもって体感するようになったのです。 まず、人が良いこと。ふらっと立ち寄るお店や飲食店の店員さんの真心こもった接客やおもてなしには、東京にはない何かを感じました。 そして、ご飯がなんて美味しいこと。もつ鍋、水炊き、焼き鳥、炉端焼き…地元の人からも、そして観光客からも愛される数々のお店を巡る中で、福岡一年目は目を見張るほど増量してしまいました。福岡を去った今、悔いが残ることと言えば、きっとまだたくさんあるのだろう見知らぬ名店を開拓できなかったこと。行きたい店をリストアップし足を運んでは、ひとつ、またひとつと”美味しい店リスト”が出来上がっていくことが何よりも楽しみでした。 また、すぐ近くに海や山があることも魅力でした。車さえあれば佐賀や長崎にも出られます。自然と対話しようと思えば十分な環境です。これまで、車を必要としない生活をしてきた私は、実は免許を持っておらず、免許がないことをここまで悔やんだのは初めてでした。 かつ、天神駅周辺は、数年後の『天神ビッグバン』を見据えて都市開発が進行中。地方の中でも「都市」を感じられる場所です。ショッピングも十分に楽しめました。東京ほど人混みがあるわけではなく、その分ストレスを感じることもありませんでした。 気分転換をしたいと思えば、天神駅からバスで10分ほどの場所にある大濠公園へ。何度足を運んだことでしょうか。休日にマインドフルな時間を過ごすには、とにかく最高の環境でした。 人数は少ないですが、福岡の知り合いもできました。生い立ちや育ってきた環境が全く異なる人とつながりができることが何とも新鮮でした。 福岡を離れる今思う、「第二のふるさとがあってもいい」 福岡最終日。福岡最後の日なのになぜか最後という感覚が無い、そんな不思議な感覚に陥りました。人生で福岡に住むことはもう二度とないのかな?と思う一方で、いや、もしかするとまた何かのご縁で福岡に住むこともあるのではないか?とも。 福岡に到着した初日、決してポジティブではなかった福岡生活の始まりを考えると、この福岡という場所の良さに支えられ、そしてここで出会った人に支えられたからこそ、楽しめるようになったのだと思います。楽しかった思い出として"一旦"締めくくることができたことに心から感謝しています。 もし私が将来、地方移住をすることがあったとしたら、きっと福岡を候補地に入れると思います。なぜなら、その土地の良さを知っているから、福岡に戻ったときに会いたいと思える人がいるから。そして先述通り、その土地を知ったことで「安心感」を持つことができたから。 こうやって全国各地の良さを知ることができれば、ふるさとは1つどころか複数できるのでしょう。ふるさとって、別に生まれ育った場所じゃなくたっていい。そこに何かしら思い出や愛着があって、またいつか戻ってきてもいいと思えるならば、そこは第2のふるさとになりえるのではないかと、そう思います。 喜怒哀楽を共にしてくれた福岡よ、ありがとう。 また会える日を楽しみにしています。 文:菊池 真代

ふるさとが複数できた話 神奈川編

はじめまして、flatoインタビュー企画「移住者に聞いてみた」で、ライターを担当している菊池真代と申します。生まれてから約25年間はずっと首都圏で暮らしてきましたが、2019年から仕事の都合で初めて「地方暮らし」を経験。この2年間で「ふるさと=地方」というイメージが覆されたり、「ふるさと=居場所」という新たな概念に気付けたり…。最初は決してポジティブではなかった「地方暮らし」への気持ちの変化について書いてみました。 地方暮らしは突然に。福岡生活が決まったあの日 2019年3月末のこと。5月から入社予定の転職先から、「配属先:福岡天神」というメールが。 これを見た私は思わず飛び上がり、動揺し、しまいには笑いが止まらなくなりました。人事制度上、全国どの地域でも働く可能性があるのは理解していましたがまさか縁もゆかりもない九州エリアに配属になるとは全く想像していなかったためです。 神奈川で生まれ育ち、大学は千葉、1社目は東京勤務とずっと首都圏で生きてきた私にとって、九州は未知数の地。「福岡って何が有名だっけ?」と好奇心から情報収集を開始したものの、すぐに不安が頭をよぎりました。 誰一人知り合いがいない。親戚もいない。土地も全く知らない。それに、いくらなんでも遠すぎやしないか。 これまでも一人暮らしの経験はありましたが、実家まで電車で約1~2時間ほどの距離。しかし、福岡となるとその距離約1000キロ。頼れる人が近くにいないことに大きな不安を感じ始めてしまいました。 意外と生活の変化がなかった福岡「シティ」暮らし 不安とワクワク感が入り混じる中、その年の7月から福岡生活がスタート。そう、初めての地方暮らしです。 引越当日のことは、未だによく覚えています。福岡空港から接続する市営地下鉄空港線に乗車したのですが、車両も広告も最新の山手線に慣れていた私にとっては、一昔前の電車に乗り込んだような感覚。また、二席分を一人でゆったり座るのが通常運転らしく、「みんな詰めて座ってよ!」と心の中で苛立ちつつも「何をせかせかと」と自分への呆れも…。 さらに、福岡ではバス文化が根付いています。ほぼ定刻どおりバスがやってくるのですが、初めは行き先がよく分からず乗り間違えることもしばしば。バス通勤に慣れず会社までバスで100円で行けるのを、わざわざ電車で216円かけて通勤する、なんてこともありました。 その一方で、面白く感じたこともあります。社内でも九州出身の方が一定数おり、「これ~~すると?」「私も~~するけん」など、聞き慣れない方言で話しかけられることが新鮮でした。 こうして”地方らしさ”が垣間見える一方、福岡市は意外にも「シティ」でした。市街地は「コンパクトな渋谷」という表現がよいでしょうか。休日は人混みでごった返し、アジア各国からの観光客も多数。また、博多駅や天神駅までの交通アクセスもよく、買い物には困らないし、美味しいご飯屋がたくさんある。言葉通り「地方にある都市」という印象を受けました。 東京時代と生活があまり変わらなったことは、精神的にはよかったことかもしれません。 次第に膨れ上がる孤独感 それでも、不安がなかったかと聞かれたら嘘になります。いくつかありましたが、何より不安だったのが「会社の同僚以外に知り合いがいなかった」ことです。 東京時代は、休日は趣味のオーケストラ活動に精を出し、気の知れた仲間と毎週コミュニケーションをとっていました。もちろん、福岡でもオーケストラを始めようかと考えましたが、知らない人ばかりのオーケストラに入る勇気が出ず、、すぐに断念。 さらに、どうすればこの地に馴染めるのかわからないし、そもそも転職したばかりで会社にすら馴染めない。このように、最初はかなり孤独を感じました。 元々一人行動は好きなタイプでしたが、ホームシックが続き、帰省明けに福岡に戻った夜は家でひとり涙しました。 地元の神奈川を初めて「ふるさと」だと思えた 寂しさのあまり、Googleマップで東京と福岡の距離を眺めたりもしました。しかし、その時になってようやく、「地元」や「ふるさと」を強く意識するようになったのです。 東京時代に周りに「地元に帰る」と言ったとき、「地元って言っても神奈川でしょ!近いじゃん」と指摘され「確かに地元感ないなぁ…」と納得することが多くありました。また、私の中で「ふるさと」と聞くとなんとなく「地方」というイメージがあり、地元が都心に近い自分には「ふるさと」という言葉が似合わないと思っていました。 それが、この遠く離れた福岡にやってきて孤独を感じたり、「いつ帰ってくるの?」「早く帰っておいでよ!」と休暇の度に声を掛けてくれる友人や家族の声がたまらく嬉しく感じるようになって、「神奈川に本来の居場所がある」ことを改めて認識するようになったのです。 ここで気が付きました。「ふるさと=地方」は私が勝手に作り上げたイメージだった、と。また、「『ふるさと=自分の居場所』なのかもしれない」と思うようになりました。 そこから、仕事においても少しずつ変化が現れるように。それまではお客さんに対して、福岡に来てまだ日が浅いことや関東出身であることをなんとなく言いづらかったのですが、「私の地元は神奈川なんです!」と胸を張って言うようになった自分がいたり、「私のふるさとは神奈川です」と言いたくなったりもしました。 こうして「私のふるさとは神奈川」という、紛れもない事実を身をもって実感するようになったのです。 文:菊池 真代

【愛媛県松山市】「悩み続けた僕が初めて悩まなかった」 今野正輝さんの地方移住 #移住者に聞いてみた

今回の移住者に聞いてみたでは、愛媛県松山市在住の今野正輝(こんのまさき)さん(Twitter)にお話を伺いました。 松山の心地よさに惹かれた今野さんは、赴くままに横浜からの移住を決意。「今すぐに移住はできない」という考えが変わったきっかけについて語ってくれました。 自分らしさを発揮できる松山生活 ー現在のお仕事について教えてください。 フリーランスとして、オンラインセミナーの企画から運営配信、ライター、WEBサイト制作などのWEBコンテンツ制作を行っています。 ー幅広くお仕事をされているんですね。メインのセミナー配信はいつ頃から、どのようなきっかけで始められたんですか? 2020年5月頃からです。それまではWEB制作やライティングの仕事を請け負う傍ら、アルバイトで就職支援事業に携わっていました。その中でオンライン企業説明会の企画に携わったことをきっかけに、個人でもお仕事をいただくようになったんです。 -オンラインが主体のお仕事ですが、どのような働き方をされていますか? セミナー配信の際は会場に出向くこともありますが、基本は自宅での仕事がほとんどです。稼働日や勤務時間帯は自由に決めています。 ーお住まいの松山市の魅力について教えてください。 自然を近くで楽しめることですね。車があれば、海や山まで30分で行けます。また、松山は四国で一番大きな都市で、市街地は店が充実しているため、生活に困らないことも魅力の一つです。 ー休日はどのように過ごしていますか? 海や山までドライブして写真を撮ったり、家で楽器を弾いたりしています。また、在宅勤務が続くと運動不足になるため、運動やストレッチの時間も取るようにしています。 「移住は難しい」と感じた初めての愛媛旅行 ー社会人1年目からの流れを簡単に教えてください。 新卒で専門商社に営業職として入社しましたが、数ヶ月で体調を崩して退職してしまいました。その後は職に就いたり離れたりを繰り返すなど、仕事や働き方について悩みが尽きませんでした。 ー具体的にどのように悩んでいたですか? 「正社員として働かなければならない」という固定観念から悩み続けた時期が5〜6年続きました。精神的にも不安定になり、今振り返ると「自分がどう生きたいのか」という視点でキャリアを考えられていない状態でしたね。 ー苦しい時期を経験されていたんですね。その後、転機となる出来事はあったのでしょうか? はい。仲の良い友人に相談する機会があり、最初は非難されるのかと思っていたのですが、その時に「早く言ってくれればよかったのに」と笑顔で言ってくれたのは大きかったですね。自己開示をしたことで心が軽くなり、徐々に自分軸での生き方を模索できるようになりました。 ー松山とは、いつどんなきっかけで縁が生まれたのですか? 2019年、松山在住の方が主催されているオンラインサロンに参加したことがきっかけです。メンバーそれぞれの悩みを皆で解決する時間があり、そこでとことん自己開示をしたことでフィードバックをたくさんいただき、色々な気づきがありましたね。 ーその活動のなかで、移住を意識されるようになったのですか? いえ、始めから移住しようと決めていた訳ではありません。最初は仲良くなったサロンメンバーに会いに行くために2019年に初めて愛媛に行ったところ、とにかく居心地が良く、心で通じ合う感覚を持てたんです。そこで「松山に住めたらなぁ」と思いはしましたが、住まいや仕事への不安の方が大きく「今すぐに松山に住むのは現実味がない」と思っていましたね。 「流れに乗るしかない」と移住を決めた2度目の愛媛旅行 ーその後、どのような経緯で再び松山を訪れたんですか? 愛媛旅行の後、以前より挑戦したかった一人暮らしを東京で始めようとしたのですが、入居時に契約のトラブルがあり、契約破棄となってしまったんです。その過程で疲れてしまい、少し休もうとおもいきって2週間ほど愛媛に旅行に行くことにしました。 ー2度目の愛媛旅行ではどんなことをされたんですか? 松山の方と仕事をしつつ、その合間で会いたかった人に会ったり、瀬戸内の離島と松山市内のゲストハウスを転々として過ごしていました。そんなある日、作業をするためにたまたま入ったカフェで店長さんと仲良くなり、併設されたマンションのチラシをもらったんです。その後、タイミングよくマンションのオーナーを紹介いただき、「住める部屋はあるよ」と。 ー急展開ですね…! そうなんですよ。また、周りの人に自分の経験を伝えることで、新たな仕事をいただくこともできました。住まいも仕事も愛媛で持てそうだったので、これは移住するしかないと思ったんです。 ー流れるように移住が決まったように見えますが、それはどうしてなのでしょうか? 「松山に移住することに対して悩まなかった」からだと思います。これまで仕事や人生について悩み続けてきましたが、初めて「そういう流れなんだな」と自然に思えたんですよね。松山の居心地の良さにも後押しされ、「なんとかなる」と決断できました。 悩まなかったことが移住の決め手に ー移住準備にあたり大変だったことはありましたか? 実家がある横浜から松山までの移動は大変でしたね。片道だけで約1000キロあり、兵庫県の知人宅を経由して2日間かけて車で移動しました。物理的には大変でしたが、住まいや仕事、気の知れた仲間がいるのは安心につながりました。 ー移住後に感じた、今野さん自身の変化を教えてください。 初めて一人暮らしをしたことにより、自分の新しい一面を発見しました。たとえば、ストレッチを大切にする自分や実は温泉が好きな自分など。自分のことを意外と分かっていなかったんだなと思いましたね。また、困ったときに人を頼ることができるようにもなりました。人との出会いやつながりを通して、「自分は愛されている」と実感することができ、人からの愛を受け取れるようにもなった気がします。 ー最後に、移住検討者に向けたアドバイスはありますか? まずは「お試し移住」から始めることをおすすめしたいですね。私の場合、初めから移住を決めていたわけではありませんが、移住前に現地の人とのつながりを持てていたからこそ、安心して移住できました。また、移住にあたり困ったことがあったら、怖がらずに声を上げて相談してほしいなと思います。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー、文:菊池真代 編集:西本友

「この地を愛そう」。愛媛県宇和島市在住 荻原悠佳さんの想いに迫る #移住者に聞いてみた

今回の移住者に聞いてみたでは、愛媛県宇和島市在住の荻原悠佳(おぎはらゆか)さん(Facebook)にお話を伺いました。 大阪と東京で「成長」を求めてキャリアを積んできた荻原さん。縁のなかった宇和島への移住を経て「地域を愛する想いが成長につながる」と気付いたそうです。 とんびの鳴く声が響くのどかな宇和島暮らし ー現在の仕事や活動について教えてください。 夫のお父さんが代表を務める水産流通業の会社に勤務し、その中で総務を担当しています。将来的に夫が後継ぎとして代表となる予定のため、彼をしっかり支えられるようビジネス全般の知識習得にも励んでいます。 ー現在住んでいる宇和島はどんなところですか? 宇和島城があり、城下町として有名です。また、四国88か所巡りでお遍路さんがよく訪れるからか、外から来る人をもてなす文化もあります。 ー現在の生活で気に入っているポイントはどこですか? 春には山菜、冬には里芋といった旬の野菜を楽しめることです。今まで都市部での生活が長く、「旬の野菜」を意識したことがありませんでした。また、宇和島は海と山に囲まれ自然が豊かです。とんびののびやかな鳴き声を聴くと、のどかさを実感できますよ。 移住のきっかけは「拠点」への憧れ ー大学卒業後のご経歴について教えてください。 地元である関西の地方銀行で営業職を経験したのち、進路選択やキャリアに興味があったことからリクルートに転職し、教育事業に携わりました。リクルートでの3年間は本当に濃い時間でしたが、一方で人生設計に悩む時期でもありましたね。 ーどんなことで悩んでいたんですか? 結婚とキャリアについて、です。また、東京本社の方と仕事をする機会が多く、「東京って面白い人がたくさんいるんだなぁ!」と刺激を受けたこともあって「心機一転、20代最後の年に上京するのも面白いかも?」と思っていました。 ー何が東京に行くきっかけになったのですか? 大阪の社会人サッカーチームの仲間だった今の夫に転職相談をした際、「姉が東京で会社をやっているから会ってみないか?」と言ってくれて。その後、彼のお姉さんから「もし良かったら、一緒に働きませんか?」とお声がけいただきました。会社や商品のブランドを創りあげていくお仕事が魅力的だったことや、彼のお姉さんが女性経営者としてすごく素敵だったことから、「この人の近くで学ばせていただきたい」と思い、転職を決めました。 ー旦那様とは、その段階からのつながりなんですね。東京での生活はどうでしたか? 本当に充実していました。本業の仕事はもちろん、様々な学びの機会に積極的に参加したり、本業以外にも複業にも挑戦したりして、いろいろな方とのつながりができました。東京での出会いは財産といっても過言ではありません。 ー充実した生活のなか、地方暮らしを意識した経緯を伺いたいです。 大阪・東京と、いわゆる都会で過ごしてきた中で、子供の頃から抱いていた「拠点」を持つことへの憧れが大きくなっていたんです。また、前職で宇和島市のシティブランディング事業に公募し、地方の街の魅力を引き出すプロジェクトにも携わりました。その中で地方への興味が深まったと思います。 義父の言葉で決めた現職への入社 ーその後、結婚を機に東京から宇和島に移住されましたが、どのような経緯で移住されましたか? 結婚の少し前に義父が体調を崩されたんです。義父は会社の代表なので、夫の中で「父のそばにいて経営を学びたい。もっと宇和島本社のことを知らなければ」という気持ちが強くなったようです。それで、夫から「来年の6月には一緒に来てほしい」と言われました。さらに、4月に愛媛で行った挙式直後に緊急事態宣言が発令されたんです。東京に戻れなくなり、「これもタイミングだし、このまま移住しようか」と夫と話して決めました。 ー移住の準備にあたり、大変だったことはありましたか? 新しい環境に飛び込むことに抵抗がなく、すんなり受け入れられましたね。また、移住当初は義理の実家の「はなれ」のような場所をお借りして生活していて、みんなで一緒にご飯を食べたりすることも多くて。義理の実家の皆さんは、私が淋しくならないようにすごく気をかけてくださいました。だからこそ、あまり困るようなことがなかったのだと思います。 ーお仕事に関しても、スムーズに現職に飛び込まれたんでしょうか? いえ、仕事は決まっておらず、義父の会社で働くか、フルリモートでつながりのある方々と仕事をするかずっと悩んでいました。 ー悩んだ中で、最終的に現職に決めるまでの過程を教えてください。 尊敬している義父の会社とはいえ、「後継ぎの嫁」という立場もあり、一生勤め上げる強い覚悟がいると考えていました。かつ、これまで大阪・東京と、常に新しい情報が入ってくる環境で働き、学びを通じて自身をアップデートしてきました。色々な企業や仕事を経験してきた私にとって、1つの企業に勤め上げることで「自分らしさ」のようなものを失ってしまうのでは、と恐れていたんです。加えて、その時すでにフルリモートでのお仕事も始まっていてすごく学びが大きかったので、現職に入社することでそういったつながりが切れてしまうのは悲しいな、と思っていました。 それでも覚悟を決められたのは、義父が私の価値観を理解して、働き方や仕事の内容をよくよく考えてくださっていることが分かったこと、そして「息子を支えてほしい」というお言葉があったからです。 「まず愛すること」で自分を変えられる ー移住前後に感じた、荻原さん自身の変化を教えてください。 「仕事や住む場所を変えれば、自分は変えられる」という考え方から、「この町で成長するために、内側から自らを変えていこう」と思うようになりました。 元々課題や違和感に気付きやすいタイプなのですが、まず受容して関わり方を変えてみようという考えに変わりましたね。「この地を愛そう」と決意しました。 ー「愛する」という姿勢の大切さに気づかれたのは、どのようなきっかけからですか? 夫との会話からです。ある時、母が愛情たっぷりの手紙を送ってくれて、それを夫に見せたんです。すると、「あなたは無条件の愛を受け取ってきたんだね。こんなにも愛情を受けてきたあなたは、同じように人を愛してあげられる人だと思うよ」と、言葉をかけてくれました。 そこから、私の周りの人たちや、この町に対しても「受け入れられたい」という姿勢ではなく、「無条件で自分から愛してみよう」と思うようになりました。 ー素敵なお話ですね!最後に、荻原さんから地方移住を検討されている方にメッセージをお願いします。 愛したい地域を決めること、そして拠点を決めたら愛すると決めてみてほしいです。移住したら、不便なことや理想通りにいかないこともたくさんあります。でも、苦しいときや違和感を感じるときこそ、愛を持って地域と関わってほしいと思いますね。 ▼荻原悠佳さんへの移住相談はこちら https://flato.jp/users/106/profile ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー、文:菊池真代 編集:西本友

#移住者に聞いてみた 宮城県石巻市在住 渕上理佐さんが語る「移住先で出会えた新たな自分」

今回の移住者に聞いてみたでは、宮城県石巻市在住の渕上理佐(ふちがみりさ)さんにお話を伺いました。 大学院時代を東京で過ごし、その中で違和感を抱いた渕上さんは、「自分の感覚に従って生きていきたい」という強い想いで縁もゆかりもない石巻への移住を決断。主体的に人生を創造する渕上さんの行動力は必見です。 石巻は自分の感覚に従って暮らせる街 ー現在の仕事や活動について教えてください。 「一般社団法人イシノマキファーム」に所属し、野菜販売の企画やカフェスタッフをしています。また、「LivingAnywhere Commons石巻」という共同運営型コミュニティでコミュニティマネージャーをしたり、デザインなどの個人的な活動もおこなったりしています。 ー幅広く活動されているんですね。 何でも屋ですね。やりたいことを追求するうちに、いつの間にか活動の幅が広がっていました。 ー宮城県石巻市はどんなところですか? 自分の感覚に従って暮らせる街です。たとえば、松島や牡鹿半島を見に行きたいと思ったら、車を30分運転すると辿り着けるので、自分の感覚で行きたいところにすぐアクセスできるのは嬉しいですね。 また、海の幸に恵まれています。私は静岡県出身ということもあり、魚の鮮度に割と敏感なんですが、石巻の魚は新鮮で美味しく、魚好きには最高です。 ー石巻に行ってみたくなりますね! ありがとうございます。他の魅力としては、飲み屋が多いことがあげられます。どの店もお酒や料理が美味しいですし、お店の方は気さくで優しい人ばかり。人情味もあるので、飲み屋のはずなのに家で飲んでいる感覚を味わえます。 「モノに支配されている感覚」を拭えなかった東京生活 ー移住前は東京にいらっしゃったんですよね。 はい、大学院で建築メディアを学ぶために上京しました。大学時代は京都で建築を学んでいましたが、「果たして自分は建物を建てたいんだろうか?」と疑問を抱いてしまって。建築は社会と接している学問にもかかわらず、内輪で盛り上がっている雰囲気がある。自分の経験を活かしつつ、その雰囲気を壊して社会とのつながりを見いだせる分野は建築メディアだ、と思ったんです。 ーそこから、地方での生活を意識し始めたきっかけはなんですか? 卒業後のキャリアをイメージしたとき、「東京では暮らせないかもしれない」と思ったことがきっかけです。 京都で過ごした学部生時代は自分の行きたい場所にすぐ移動できて、飲みに行く際も電車の時間を気にする必要がない。そんな「自分の感覚で主体的に生きている」実感があったんですよね。しかし、東京ではビルや建物に囲まれ、電車が来る時間に合わせて移動しなければならない。「モノに支配されている感覚」を覚え、どうしても慣れませんでした。 ーそこで地方に目を向けられたんですね。 そうなんです。地方でやりたいことを実現できる場所を本格的に探し始めました。とはいえ、地方で自分のやりたいことができそうで新卒採用をしている企業がなかなか見つからず、苦労しましたね。 ー「やりたいこと」はどのように見つけられたんですか? 建築と関わる中で自分の好きなことはなにかを考え、気付いたのが「建築を建てる前のコンセプトワークつまり、境界線を超えて総体的に物事を見て、社会に散らばった点と点を繋げてひとつの方向性を作り上げること」でした。それを機に色々な職種を調べる中で、「コミュニティマネージャー」がそれ(コンセプトワーク)に近いかもしれないと考えたんです。大学院修士2年の秋頃の話ですね。 ー就活も佳境を越え、終わりに近づいている頃だったんですね。 東京でコミュニティスペースを運営している企業の求人も見ましたが、全て選考が終わっていました。そこで視野を広げ、地方で新卒でも「コミュニティマネージャー」として経験を積める場所を探した結果、石巻に辿り着きました。 「どこでもやっていける」と思えたイタリア留学 ー縁もゆかりもない石巻市に移住するにあたり、悩んだことはありましたか? 特にありませんでした。石巻は、建築家やものづくりに関わる人達が震災後頻繁に出入りしている地域だと知っていたので、学生時代の延長線のような感覚で石巻で暮らすイメージができ、すんなり移住することができましたね。 ー移住するにあたって住まいはどうされましたか? ひとまずシェアハウスに入居しました。石巻にはそれまで一度も行ったことがなかったので、土地勘を掴んでから一人暮らしをしようと思ったためです。土地の特徴を把握してから住まい探しをするのがおすすめです。 ー迷いなく、移住を決断できたのは何故だと思いますか? 「どこでもやっていけるだろう」という感覚があったからです。もちろん、コミュニティマネージャーの経験もなく、知らない土地でやっていくことに、一切不安がなかったわけではありません。それでも「なんとかなる」と楽観的に捉えていたので、スムーズに移住できたと思います。 ー「なんとかなる」と思えるのは頼もしいですね!昔からそういうタイプだったんででしょうか? いえ、こう思えたのは大学時代に経験したイタリア留学のおかげです。留学前は今と性格が違い、引っ込み思案で、今よりもっと抜けていました(笑)。 留学は旅行と異なり、「ここにいないと大学の単位が取れない」「自分から動かない限り誰も助けてくれない」というサバイバルな精神状態でした。一方で、そんな状態のおかげで自分の可能性を自分を何度も引き出すことができました。主体的に情報を取りに行かないと何も動かない状況を経験したので、帰国後は「日本なんて日本語も通じるし、助けを求めれば誰かしら手を差し伸べてくれるからどこでも生きていける」と思えたんです。 「留学の経験がなければ、石巻にはいない」と思うほど、私にとっては大きな経験でした。 移住は「新しい自分に出会える可能性」を秘めている ー移住後に感じた、渕上さん自身の変化を教えてください。 ハプニングが起きても動じなくなりました。また、「面白そう!」と思ったことには、どんどん手を伸ばせるようになりましたね。意思があれば応援してくれる人が石巻には多いことが要因だと考えています。 ただ、何をやるにしても自己責任で、実現に至るまでの準備や、ある程度のパワーがないと目的を果たすことはできない。それが分かっているからこそ、主体的に動くようになりました。 ーチャレンジすることでどんどん可能性が広がっていますね。 そうですね。可能性を広げるうえで、人とのコミュニケーションも大事だと思います。 石巻に住み始めたときは壁を感じることもありましたが、「何度もコミュニケーションを重ねると、地元の人は仲良くしてくれる」と感じました。自分からコミュニケーションの機会を作ることは、可能性を広げることにつながります。 ー最後に、渕上さんなら移住検討者にどんなアドバイスができますか? 人生をより豊かにするために、「色々な場所に行ってみて、人生の選択肢を広げてほしい」と思います。知らない土地に行くことで新しい発見もありますし、知らなかった自分の才能に出会えることもあります。色々な選択肢を知ってやりたいことを追求してほしいですね。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー、文:菊池真代 編集:西本友

#移住者に聞いてみた 福島県田村市在住 矢部春樹さんが語る「コロナ禍だからこそ決断できた移住」

今回の移住者に聞いてみたでは、福島県田村市在住の矢部春樹(やべはるき)さん(Twitter)にお話を伺いました。 2020年10月に東京から田村市に移住し、充実感を味わっているという矢部さん。コロナ禍だったからこそ決断できた、移住の背景を伺いました。 程よい田舎で空き家問題に取り組む日々 ー現在の仕事や活動について教えてください。 一般社団法人Switchに所属し、「地域の空き家問題の解決」に携わっています。全国的に空き家が増えているのですが、その中で私は福島県田村市を活動の場としています。 ー具体的にはどのような活動をされているんですか? 空き家を見に行ったり、空き家に関するイベントを開いたりしています。所属先が「テラス石森」という廃校になった小学校を活用したコワーキングスペースを使っており、そこで空き家に関するイベントを開催しました。他にも、空き家となった古民家をリノベーションして宿泊施設を作ることなどもしています。 ー田村市はどのようなところですか? 「程よい田舎」ですね。車を5〜10分走らせたらスーパーやコンビニに行くことができるなど、利便性が良い地域です。また、田村市は山に囲まれているので山の幸にも恵まれており、知り合いの農家さんから野菜をいただくこともあります。 学生時代の原体験が移住のきっかけに ー前職のお仕事について教えてください。 マンション設備会社の技術職として働いていました。同僚や先輩とも仲が良く恵まれた環境で、順調なキャリアを歩んでいたと思います。 ー仕事が順調な中、移住を考え始めたのはどのような経緯からだったんですか? 学生時代から地方移住に興味があり、「東京で2~3年働いて、その後は移住したい」と思っていました。その3年目を迎え、25歳前後が一つの節目と考えていたので、「そろそろ移住を実現させたい」という気持ちが湧いてきたんです。 ーそうだったんですね。社会人になってすぐ移住しなかったのはなぜですか? 刺激のある東京で生活したかったからです。東京ではオンラインサロンに入ったりイベントに参加したりして、色々な方と交流する機会を作りました。 ー色々と動かれていたんですね。 はい。ただ、最初に移住を検討するきっかけになったのは、学生時代に参加したインターンシップです。インターンシップのテーマは、島ならではの課題を解決する「島おこし」でした。そこで、「若者が就職を機に島から流出する現実」や「島で働く人のリアルな悩み」など、様々な課題を目の当たりにする中で、課題意識を強く持つようになりましたね。 また、私以上に地方に興味のある学生が集まっていて、それにも刺激を受けました。 ー学生時代の原体験がベースとしてあったんですね。地方への関わり方は以前からイメージされていたのですか? 東京で働く中でも、「移住後の仕事はどうしよう」と悩むことがありました。そんなあるとき、関わっていたオンラインサロンで知ったのが、地方でコミュニティづくりをする「コミュニティマネージャー」という仕事です。 地方に興味がある自分にとって、とても魅力的に映ったんです。実際に、コミュニティマネージャーのことを学ぶ学校しました。 ー「将来的な移住」に向けてチャレンジされていたんですね。その中で、移住に踏み切れたのはなぜですか? 一緒にインターンに行った友人が、地方で活躍する姿を見て刺激を受けたことですね。コロナ禍で家にいる時間が増えたこともあり、それを機に転職活動やキャリアプランを見つめ直す時間ができました。 最初は興味本位で「地方に関わる」仕事探しを始めたものの、企業の話を聞いてみると「今の生活よりも面白いキャリアが描けそう」と思ったんです。「このタイミングを逃したらいつ移住できるかわからない」という焦りや、家族に背中を押してもらったことも大きかったですね。 複数回にわたる転職先とのコミュニケーションが移住を可能に ー実際に移住を検討するにあたり、どのようなことに悩みましたか? 前職に対して不満はなかったので、辞めるのは申し訳ないという気持ちがありました。また、「前職で積み上げてきたものがゼロになるのでは?」という不安もありましたね。さらに、コロナ禍で移住候補地を訪れる回数が限られていた点も不安要素でした何度も足を運べなかったので、先の見えない不安も抱えていました。 ー今だからこその不安もありますよね。仕事はどのように探していったのですか? 転職サイトを利用して「地方に携わる仕事」を探しました。「移住したい地域を選択する」というより、「何をやりたいか」という軸で企業探しをしていましたね。 ーコロナ禍で、企業との面接はオンラインだったのですか? そうですね。現職は東京にも支社があり一度だけ対面で面接をしたものの、その後はオンラインでの面接を重ねました。入社までに5回はコミュニケーションを取りましたね。 ーコロナ禍で活動が制限される中、ご縁の無い土地に行くのはかなりのチャレンジですよね。 何度も面接の機会を頂けたのは、そういう意味で非常にありがたかったと思います。現職に入社を決めたのは、コミュニケーションを何度も取っていただいて、安心感や働くイメージが持てたからです。 また、最終決定をする前に、現職の上司に田村市内の地域を案内していただき、そこでおすすめの住まいや地域を教えていただけたんです。土地勘の無い中で家探しをするのは難しいので、地元のことをよく知っている方に聞くことができて非常に助かりました。 「村社会」を恐れすぎる必要はない ー移住前後で自身に何か変化はありましたか? 満員電車から開放され、ストレスフリーの生活になりました。 また、自然に囲まれているおかげか、自分のペースで仕事ができている感覚があります。移住してまだ2ヶ月(取材当時)しか経っていないのに、「もう2ヶ月か」と思うほど毎日が充実していますね。 ーありがとうございます。今、移住を検討している人に伝えたいことは何ですか? 人間関係に不安を感じる方がいたら、「心配する必要はありません」と伝えたいです。 移住を検討している方の中には、「地方=村社会」というイメージを持つ人も多いと思います。しかし、実際に移住してみて気付いたのは、「若者の移住は意外と歓迎される」ということでした。また、今はネットも発達しているので、オンラインで仕事探しやコミュニティ探しができます。 ―最後に、移住を検討する方のどのような相談に乗れますか? 仕事探しや家探し、そして人間関係づくりなど、幅広く相談に乗れると思います。特に、同じくらいの年齢の方であれば、近い立場で相談に乗れると思いますね。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ 文:菊池真代 インタビュー、編集:西本友

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2020年度版ワーケーション助成・補助金情報まとめ

【2020年度版】ワーケーション助成・補助金情報まとめ

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コロナウイルスの背景で、地方移住の関心が高まってきました。 地方移住支援を提供する、ふるさと開拓サービス「flato」では、以前からユーザー様より「ふらっと気軽に訪れられる暮らしや体験をしたい」というお声を頂いており、この度「flato-ワーケーション」の公開に至りました。 ぜひ、この機会にワーケーションを掲載したいという拠点様はぜひサービス内にある拠点掲載の流れにそってお問い合わせください。 (現在、順次公開していきます。) 「ワーケーション助成・補助金情報まとめ」の背景 ワーケーションが各地で話題となり、各地で自治体と連携した補助金などの情報が出てきました。 しかし、この補助金情報ですが、非常に見つけづらく、また整理されていない問題もありましたので、まとめページを構築しました。 現在は各地域も我々flatoも試行錯誤中で情報も少なく、ただ洗い出した状態ではありますが、今後はワーケーションだけでなく、補助金情報などまとめて"より見やすく"ご案内できることを目指します! ぜひ、ご期待ください!! 表の注意事項 行政の補助金情報は、年々更新されます。この記事自体は2020年度10月31日時点で記載されている内容です。逐次更新していきますが、情報が最新でない場合もございますのでご了承ください。 このページを利用される場合は、引用しリンクをつけることを義務付けさせて頂きます。 また、情報元は各行政に掲載している情報となりますので、本件の詳細は各自治体へ問い合わせお願いします。(そのため、補助金・助成金内容は転載元を表記しています。) 補助金 と 助成金の違い 細かい詳細は省き、ワーケーション補助・助成のイメージで説明すると、以下のようになります。 補助・・・自己負担し、あとで経費分の補助率分が支給。よって、手持ちから出る。支給タイミングは各自治体によって補助内容は異なる。補助額は高く、種類も多い。主に企業向け。 助成・・・定額から減額され、通常価格よりお得となる。よって、手持ち負担は少ない。各自治体によって助成内容は異なる。助成額は低く、種類は少ない。ワーケーション向き。(GoToトラベルなど)、主に個人向け 自治体関係者のみなさまへ 掲載されている補助金情報は、公開されている情報を集めて掲載しております。 ワーケーションに関する掲載情報が無い場合、新しく掲載希望をする場合は、以下よりお問い合わせください。掲載致します。(今後、弊社で新たな仕組みを導入する場合、ご連絡をさせて頂く場合がございます) 全国の補助金情報まとめ 現在、ワーケーションだけでなく「移住・定住」「企業誘致」関連の補助金・助成金なども多く出されています。今回は主にワーケーションに特化しご案内しています(中には企業誘致関連も一部含まれます) 北海道地方 北海道 釧路市(企業向け) 対象自治体(担当課) 釧路市 産業推進室 連絡先 0154-31-4550 実施期間 2021年1月末まで 助成 or 補助 補助 利用条件 4日(3泊)以上滞在 申込の流れ 産業推進室に申請書と必要書類を提出 事業完了後1カ月以内に、実績報告書にて事業の報告をいただき、補助金額の確定後、交付請求書を提出 対象者 釧路市内に事業所を有しない事業者 (市内に事業所がある場合でも、市外の事業所に勤務する者が、市内事業所の業務と別の業務を行う目的で実施する場合は対象) 宿泊費 上限 滞在1週間未満 65,000円/人 滞在1週間以上 85,000円/人 移動費 ワークスペース利用費 転載元 釧路市地域連携型サテライトオフィスモデル事業を募集します   函館市(企業向け) 対象自治体(担当課)  函館市 工業振興課 連絡先 0138-21-3307 実施期間 2020年11月9日・ 16日限定(出発日) 助成 or 補助 助成 利用条件 1日目午後、市が行う視察に参加 (函館市に関する説明、大学や研究施設の視察)滞在中、市が指定するコワーキングスペースで仕事を行う) (2泊3日の場合1か所2時間必須。3泊以上の方は複数施設の利用は必須) 申込の流れ 申し込み先 株式会社日本旅行 東日本法人支店 担当:内田 masaya_uchida@nta.co.jp TEL03-6892-1827 対象者 【3日間以上(最大9日)の「ワーケーション」を実施するモニタリングツアー】 職場のチーム力向上や従業員満足度アップのため、ワーケーションを実施したい 経営者・管理職の方 新型コロナにより在宅勤務となっており、勤務先にワーケーションの申請が可能な方 宿泊費 2泊3日33,000円 3泊4日38,500円 4泊5日44,000円 (最大8泊9日コースまで) ...

浜松は都会?田舎?地方在住フリーランスの暮らしに最適な理由とは?

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こんにちは! 静岡県浜松市で活動をしているフリーライターのNaoです。 私は2013年に東京から浜松に移り住みました。 移住生活も7年目となり、仕事を通じて浜松の暮らしやすさを実感しています。 そこで今回は「都会と田舎のいいとこどり」ができる浜松の魅力をお伝えします。 地方在住フリーランスに嬉しいメリットもたくさんあるので、移住を悩んでいる方はぜひ参考にしてください。 浜松は都会と田舎のいいとこどり みなさんは浜松というと都会と田舎、どちらのイメージをお持ちでしょうか? 私は東京から浜松に来たとき「想像していたよりも都会だな~!」と感じました。 浜松の中心地には商業施設や飲食店がそろっており、電車やバスなどの交通手段も充実しています。 駅周辺は夜でも明るく、人通りもあるので不安に思うこともありません。 その一方で広々とした公園が多く、少し足を延ばすと浜名湖やフラワーパークなど自然を満喫できるスポットがたくさんあります。 都会の利便性と美しい田舎の自然を同時に楽しめることが、浜松の魅力ですね。 商業施設がそろっている浜松駅前 移住してからは、都心と変わらない浜松の便利さに驚かされています。 浜松駅前には駅ビルのメイワンや遠鉄百貨店、ビックカメラなど大型の商業施設が隣接しています。 急に必要となったデジタル機器や取材先への手土産も手軽に購入できるため、いざという時も安心です。 私のおすすめスポットは、メイワン8階にある書店・谷島屋。 話題の新刊から専門書まで幅広くそろっているため、仕事に活用できる1冊が手に入ります。 エクセルシオールカフェが併設しているところも、フリーランスやノマドワーカーには嬉しいポイントです。 浜松市街を一望できるカフェで本を読んだりPC作業をしたりするだけで、最高の気分転換になりますよ。 リーズナブルな家賃で快適な環境に住める 地方在住フリーランスは自宅で仕事をする方も多いですよね。 私も在宅ワーカーなので、快適に過ごせる家選びにはこだわりました。 駅からの距離やコンビニの有無も重要なポイントです。 小学生の娘がいるワーキングマザーでもある私は、子供の通う小学校までの距離や通学路の安全性も気になりました。 さらに自分の生活に合う物件を選ぶ際には「家賃がいくらなのか」も外せません。 家賃は毎月かかる固定費なので、少しでも安いほうが嬉しいもの。 浜松は都心に比べると家賃が安く、ワンルームであれば3~4万円で借りられます。 ファミリー物件も、10万円前後からそろっています。 (ちなみに東京都渋谷区のファミリー物件の家賃は30万円以上……) 現在私は子供の小学校から徒歩5分、駅までは歩いて10分ちょっと、そしてコンビニは目の前という物件で生活中です。 「この暮らしは、都心ではなかなか手に入らないよね」と地方在住フリーランスの生活を満喫しています。 東京、大阪へも新幹線で約1時間半 浜松駅には東海道新幹線が停車するため、東京にも大阪にも約1時間半で行くことができます。 私はリモートワークで仕事をしていますが、定期的に東京のクライアントさんを訪問して打合せをしています。 東京や大阪に行くことで、トレンドを自分の目で確かめたりクライアントさんと直接話をしたりできるため、とても良い刺激になっています。 確かに距離はありますが、新幹線なら移動はあっという間なところも嬉しいですね。 子供が大きくなるころには、都心と地方の両方で活躍できる「2拠点フリーランス」になることが私の目標です。 そのため都心へのアクセスが便利な浜松は、私にとって最適な場所なのです。 最後に 今回は私が暮らす浜松の魅力を、地方在住フリーランスの視点からご紹介しました。 移住を考えるときには自分の目指す暮らし方をイメージして、交通の利便性や商業施設の有無、自然環境との近さをリサーチしてみましょう。 「地方は不便かもしれない」と不安を感じていても、実際に暮らしてみると意外と都心と変わらない生活ができるものです。 家賃の安さや人混みが少ないことなど、地方のメリットもたくさんあります。 本格的な移住をする前に、お試しで短期間暮らしてみるのもおすすめです。 生活をしてみることで、本当に自分に合う土地かどうかがわかりますよ。

【宮崎県児湯郡新富町】二川智南美さんが直感で選んだ移住先が最高だった話 #移住者に聞いてみた

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今回の移住者に聞いてみたでは、宮崎県児湯郡新富町(こゆぐんしんとみちょう)在住の二川智南美(ふたがわちなみ)さんにお話を伺いました。 20代後半に差しかかり将来を考えた二川さんは、偶然と直感、そして行動力を基にして移住を決断しました。移住を視野に入れながらも移住地に迷っている人へ、一歩を踏み出すヒントがあります。 地域の魅力を再発見する広報誌をつくる ー現在のお仕事について教えてください。 地域おこし協力隊として新富町役場の総務課に所属し、広報誌『広報しんとみ』の制作に関わる業務全般を担っています。企画構成から、取材、編集、ライティング、写真撮影、誌面のデザインまで、幅広い業務を担当しています。 ーいつから広報誌のお仕事をされているのですか? 移住後の2019年9月からです。外からの目線で地域に埋もれた魅力を引き出したり、地域で頑張る人々とその背景にある気持ちを伝えたり、新富町の魅力が伝わるように日々改良を重ねています。この仕事は、掲載される側と読者の両者の反応を身近に感じられるので、とてもやりがいがあります。仕事を始めてから1年半以上経ちましたが、新富町は伝えたい魅力が尽きません。 1本の映画が気付かせてくれた移住への本当の気持ち ー地域愛を持って仕事をされていますが、以前はどのような仕事をされていたのですか? 東京の編集プロダクションで5年半編集者として働いていました。ライターやデザイナーへのディレクションを中心に、企画構成やライティングの経験があり、その経験が今の仕事に活きていると感じます。ただ、勤務が終電まで続くことも多く、体力面や精神面で将来を不安に感じることもありました。 ー移住を考えるきっかけがあれば教えてください。 あるとき、旅行先で「おだやかな革命」という映画を観たことです。地域のために地道に努力を重ねる人の姿に魅せられ、「地域で頑張る人や地域の魅力を盛り立てたい!」と移住への決意が固まりました。 ー映画の他にも移住を検討する理由はありましたか? はい。まず、20代後半になり将来の働き方や住む場所について考え始めました。都会で身を粉にして働き続けることへの不安と、自分が育った群馬県の田舎のように、自然のある場所で子育てをしたい気持ちがありました。また、大学で俳句を専攻していたこともあり、「季節の移ろい」を感じられる場所で生活したかったことも理由のひとつです。 経験に裏付けられた直感が導いた移住 ー何がきっかけで新富町への移住につながったのですか? 映画をみた後、偶然友人から誘われた『南九州移住ドラフト会議』への参加が契機になりました。移住を検討し始めたものの、移住地は模索状態。これまでに縁のない場所との出会いを望んでいた自分にとっては助かりました。 ー「南九州移住ドラフト会議」では何があったのですか? 面談や自己PRを経て、球団の新富町(『地域商社こゆ財団』)から1位指名をいただきました。新富町の人とは本指名の直前にある交流会で意気投合したものの、当時は新富町の場所も知りませんでした。そもそも移住先を決めるというよりも、移住に向けた第一歩として、地域の人物と関わるために参加したので・・・。 ードラフト会議が新富町への移住の決定打だったのですか? いえ、指名後に10日間ほど新富町を含めた宮崎の地域を巡った旅行が決め手でした。旅好きで国内各地を訪れていたなか、直感的に住んでみたいと思ったのは新富町が初めてだったんです。新富町では、『地域商社こゆ財団』のはからいで地域課題を解決するワークショップに参加し、観光資源や人の話を聞く機会がありました。そこで、新富町の新しい風を受け入れる姿勢と地域の魅力を体感し、すっかり新富町の虜になってしまいました。 ー新富町には、二川さんが移住先に求める環境が備わっていたのですね。 そうですね。私は、出身地と似た人口2万人前後の規模感に惹かれました。地元とよく似た場所で、育った経験から移住後の生活がリアルに想像できたことが「住みたい」につながったと思います。 後悔しないためには行動が大事 ー新富町の魅力を教えてください。 まずは、日本有数の農業地域で野菜が美味しいことですね。また、神楽や神話といった伝統があるほか、ウミガメが産卵にくる豊かな砂浜もあります。航空自衛隊の基地がある背景から外部者を寛容に受け入れる土壌と、伝統を守りつつ時代に応じた変化に挑戦できる風土も魅力です。地方ですが、都心から遅れているような感覚もありません。 ーその当時付き合いたてだった彼氏さんと一緒に移住したと聞きました。どのように説得されましたか? 彼との交際はドラフト会議で本指名を受ける1週間前から。初デートが新富町だったんですが、そこで私の移住の意思が固まってしまったので、移住をしたい気持ちと新富町の魅力を伝えて説得を繰り返し、二人で移住しようという結論に至りました。いつかは地方で暮らしたいと考えていた彼でしたが、本人も想定より早い移住になったようです。 ー移住して実現できたことはありますか? 仕事は忙しいものの日が明るいうちに帰宅でき、ライフワークバランスも保てるようになりました。距離感が良く、知らない人ともすぐに会話が生まれます。建物で遮られない空や季節の移ろいを感じられる自然、都市部にすぐ出られる立地にも満足しています。 ー仕事もプライベートも好調ですね。逆に困ったことはありますか? 交通アクセスが良くないので、実家に帰るのが大変なことぐらいです。とはいえ、東京ではできないこと(きゅうり収穫など)を体験できる環境があるため、日々充実していますよ。 ーありがとうございます。移住を検討している人へのメッセージをお願いします。 移住をするときは、実際の暮らしを事前に感じてみることが重要です。気になる土地へ行く、その土地の中心人物を探すなど、まずは行動しましょう。後悔しない移住をするためには、移住後の生活をつかむことが大切。自分の譲れないものは何かなども考えて、後悔しない移住を実現させてくださいね。 ▼二川智南美さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/345/profile ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー:ぱーこ 文:矢井田千秋 編集:西本友

【福岡県福岡市】木村公洋さんが語る、移住先の人と移住前からつながる重要性 #移住者に聞いてみた

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今回の移住者に聞いてみたでは、福岡県福岡市在住の木村公洋(きむらきみひろ)さん(Twitter)にお話を伺いました。 東京で育った木村さんが移住先に選んだのは、地方都市である福岡市でした。移住前につながりを作ったことで、不安のない移住が実現。地方都市への移住を考える人の参考になること間違いなしです。 東京での仕事を手放し福岡へ ー現在のお仕事について教えてください。 主にライターとして、大手企業のWebメディアから個人のポートフォリオに載せる文章まで、取材を通して「想い」を言語化する仕事をしています。他にも、スタートアップ企業を支援するプログラムのメンター(アドバイザー)や、クラウドファンディングのプロデューサーとして共感を得る文章の作成など、人に関わる仕事が多いですね。 ー仕事や仕事環境は移住前と変わりましたか? はい。元々は放送作家としてテレビ・ラジオの報道・情報番組の企画構成、クイズ番組の問題を作成していました。ただ、2019年秋にはテレビの報道の仕事を辞め、7年間続けたラジオ局での仕事も移住を機に辞めました。 ー仕事を辞めてまで移住しようと思ったのですか? そうですね。ラジオ局での仕事だけが現地へ行く必要がありましたが、ライターの仕事がオンラインで完結できていたんです。「あれ、東京で暮らす意味ってないのかも」と、だんだんと移住の気持ちが固まっていき、「今こそ仕事環境を変える機会」と腹を括って2020年秋にラジオの仕事を辞め、放送作家の看板も外すことにしました。これで移住への勢いもつきましたね。 飲み会のために東京と地方を往復して得られた縁 ー移住を考えはじめたきっかけを教えてください。 飲み会でのご縁がきっかけです。数年前から、友人に誘われた飲み会のためだけに、東京から飛行機に乗って地方を往復していました。フットワークの軽い自分が好きで、飲み会目的の長距離移動も話のネタになると思って参加していたんです。何度か福岡での飲み会に参加し、おもしろい人たちとのつながりや知り合いが増えるなかで、「いつかは移住したい」と考えるようになっていました。 ー移住を本格的に決めたのはいつごろですか? 取材が全てオンラインになった2020年3月頃です。高い家賃を払っているのに、家とラジオ局との往復しかしていないことに気づき、「東京じゃなくてもいいな」と感じて移住を決めました。 ー仕事が大きなきっかけだったのですね。何を基準に移住先を探しましたか? 東京までのアクセスが良く、日常生活の利便性が高い地方都市を軸に探しました。僕は東京で育ち、車のない生活が基本。今も運転免許を持っていませんし、便利な都会が好きです。また、気軽に人に会える場所に住みたいと考えていました。福岡市であればすでに人とのつながりがあり、都会の割に家賃が安かったことにも惹かれましたね。 ーなぜ東京へのアクセスを重視したのですか? いきつけの美容室が東京にあり、月1回程度は上京する必要がありました。僕の髪型を20年間任せている美容師さんがいるため、美容室は変えたくなかったんです。それに、ほとんどの情報はインターネットで収集できますが、直接会うことでしか得られない情報もあります。東京に知人が多いので、そのタイミングで人と会ったり仕事ができるといいなと思いました。 ーそれでラジオ局での仕事も辞め、移住に向けて動き始めたのですか? そうです。福岡市での住居を探し始めたのは仕事を辞めてから。中洲や天神などの繁華街で探し、知人に紹介してもらった不動産屋さんのおすすめ物件に決めました。11月中旬に東京の荷物をまとめ、下旬には引っ越しました。 福岡の魅力は「人」と「利便性」 ー移住前の不安や移住後に困ったことはありましたか? 移住するまでに相談できる人間関係ができていたため、困ったことはありませんでした。また、移住後も人とのつながりを作れる自信があったことから、不安もなかったです。 ー良い人間関係が安心につながったのですね。福岡市の魅力を教えてください。 まず、コンパクトな町で交通の便が良いことです。自宅から繁華街の天神までは徒歩圏内で利便性が高い。かつ、東京と比べてタクシーの料金が安く、夜も終電を気にせずに過ごせるようになりました。生活コストが低いことも魅力ですね。 ー実際に住んでみてどんなことを感じましたか? 福岡の時間の流れは、東京に比べてゆっくりだと感じました。東京にいたときは、異様な早さで時間が流れていたと感じます。僕自身は、移住してからスケジュールにゆとりを持つようになり、自由な時間や自分に向き合う時間も増えました。自分の体感では、睡眠の質もあがって体調も良くなりました。今では福岡市をホームと思えるようになっていますし、東京から福岡に戻ってきたときにホッとする自分がいるんです。 移住前から「人」とのつながりを ー移住前後で、人との関わり方は変わりましたか? 時間に余裕ができたので、人と会う機会を増やすようにしました。どこに住んでいても変わらず大切なのは、人とのつながりです。人との出会いが経験値を上げ刺激を生むと思っているからです。そのため、仕事でもプライベートでも人からの誘いや出会いの機会を逃さないよう、オンラインだけでなく対面で会う機会を作るように心がけていますね。 ー移住を検討している人へのメッセージをお願いします。 僕は、移住先を選ぶ決め手は「人」だと考えているため、移住前から人との関係を作ることをおすすめしています。どのぐらいの人とつながりがあるのか振り返ってみて、なければ作っていきましょう。移住先でも相手の行動を待たずに自分から溶け込む努力が必要です。 ーありがとうございます。木村さんは移住検討者のどのような相談に乗ってくれますか? 人との関係作りについては相談に乗れます。人は考え方も価値観も多様であることを理解して、決して相手を否定しないことが大切です。すぐに距離感を縮めたい気持ちも分かりますが、まずは心地の良い距離から少しずつ縮めてくださいね。 ▼木村公洋さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/348/profile ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー:ぱーこ 文:矢井田千秋 編集:西本友

【福岡県福津市】理想の子育てを実現!小関美穂さんに聞く「子育て移住計画」 #移住者に聞いてみた

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今回の移住者に聞いてみたでは、福岡県福津市在住の小関美穂(こせきみほ)さん(Twitter)にお話を伺いました。 ファミリー世代である小関さんの移住は、Uターンを希望する旦那さんがきっかけでした。子育て移住を成功させるための入念な移住計画は、ファミリーで移住を検討している人の参考になること間違いなしです。 移住を見据えたキャリア形成 ー現在のお仕事について教えてください。 株式会社allpersonalという会社で、事業の業務効率化と生産性向上を担う『Chief Productivity Officer|最高生産性責任者』としてフルリモートで勤務しています。以前はフリーランスとして関わっていましたが、現在は正社員として働いています。 ー小関さんは、メイクから人事と大きくジョブチェンジをされたと聞きました。人事の仕事はいつから始めたのですか? 2011年の春です。メイクの仕事は新社会人の時に、美容部員としてスタートしましたが、メイク関係の最後のキャリアはクリエイターのマネージャーでした。メイクアップ、ヘア、スタイリスト、フォトグラファー、ネイリストなどのクリエイターの夢をどのように叶えるかという戦略設計を二人三脚で取り組み、人が成長する姿を間近で見たとき、人事の仕事に興味を持ったんです。 ーメイクの仕事からどのようにキャリアを積んだのですか? 1つ目の会社には派遣社員として入社。最初に雇用形態にこだわらなかったことで、人事経験を順調に積むことができたと思っています。2021年2月からフリーランスとして業務委託を請け負ってましたが、現在の会社には移住のことも伝えたうえで、社員として入社しました。 ーフリーランスに転向したあと、すぐ正社員に戻ったのはなぜですか? 正社員になった理由はいくつかあります。一番大きな理由は、自分が地域でやりたいと思ったことと、誘っていただいた会社でやれることがシンクロすると感じたことです。 ほかにも、フルリモートで仕事ができたり、子どもが今年4月から入園し仕事の時間を確保できたこと。注文住宅を契約し、住宅ローンを組むためには正社員が有利だと思ったこと、などです。   十分な準備と思い切りで実現した移住 ー移住を検討し始めたきっかけを教えてください。 2018年頃、夫が実家のある福岡県福津市へのUターンを希望したことがきっかけです。移住前は千葉に住んでいました。子育ては自然の中でしたいという考えがあり、私自身が福岡に2年間住んだ経験から、また住みたいという気持ちも強かったですね。 ー移住への準備はいつから、どんなことをされていたのですか? 夫がUターン希望を伝えたタイミングから準備を始めました。移住を実現するために身に着けるべきスキルは何か、職種的な市場はどうかなど、人を紹介いただいて色んなお話を伺いました。その中で仕事や住む場所について調べたり、引越しの時期や費用、子供の入園に伴う手続きなどを徹底的に調べたり。どうすればコストを低く抑えられるかを考え、着々と準備していました。 ー実際に移住をするにあたって、不安なことはありましたか? 関東と比較した情報格差、教育格差、希望のタイミングで保育園に入れるかが気になってはいました。現在ではオンライン化が進んだこともあり、さほど問題ないと感じています。色々検討しましたが、最後は思い切りで移住に踏み切れたところもありました。 ー移住する際に家を買うことは決めていたのですか? いえ、移住前は賃貸か建売住宅にするか悩んでいました。夫婦でフルリモートワークのため、各自の個室があることが必須の条件だったんです。納得できる物件はなかなか見つかりませんでしたが、ご縁が重なり、年内に注文住宅が建つ運びとなりました。 ー理想の生活のためには、注文住宅が最適だったということですね。 はい。建売住宅をいくつか見学するなかで、気に入った工務店と分譲地に出会いました。関東では考えられない広さと価格の家だったので、思い切って購入しました。 理想の子育てができる福津市 ー福津市に住みたいと思った理由はなんですか? 理想の子育てを実践したいと思ったからです。子どもには、自立した人に育ってほしいと思っています。自立できる人は「挑戦できる人」だと考えていて、挑戦するためには自己肯定感が必要です。福津市では、学校運営に地域が参加するコミュニティスクールや、地域自治の仕組みの「郷づくり」など多世代の人と触れあえる環境があります。多様性を認め合える環境で自分を確立できたら、揺るぎない自己肯定感が育つのではないかと思いました。 ー福津市が自分の理想の子育てができる場所だとわかったのですね。 そうですね。また、福津市は海上貿易と塩田で繁栄した街なので、よそ者を受け入れる文化があります。転入者がどんどん増えていて、30〜40代のファミリー世代が多いという土壌も、子育てにとってメリットだと思いました。 ー福津市の魅力を教えてください。 山や海といった豊かな自然が全部揃う環境と、博多まで30分という立地の良さです。ウミガメが産卵するほど綺麗な水質の海があり、22kmにも及ぶ海岸線の景色に魅せられて移住する方もいると聞きました。遠浅の海で、条件が揃えばウユニ塩湖のような『かがみのうみ』を見ることもできます。ほかにも、漁港では新鮮な魚が手に入り、野菜も地産地消でおいしく頂けます。広い家に住むことができるのも魅力ですね。 少しずつ調べれば移住の不安は解消される ー実際に移住してみて気づいたことはありますか? 毎日海や山を見れるので、落ち着いて過ごせることですね。子どものお迎えに行ったときに、夕日がきれいだなと思ったら浜に行ける距離に住めるのは贅沢だと思います。また、私も夫も仕事がフルリモートで通勤時間がないため、家族の時間をしっかり取れるようになりました。 ーありがとうございます。移住を検討している人へのメッセージをお願いします。 リモートワークが増えている世の中で、都会に住む理由がなくなってきた方も多いのではと思います。自分の幸せを追求して移住をすると、生活の質が大幅に向上すると感じています。移住を検討している方は、自治体が展開する移住支援のサービスを調べてみてはいかがでしょうか?子どもがいる家庭でいきなりの移住は難しいですが、少しずつ調査すれば必ず乗り越えられると思います。 ー最後に、小関さんなら移住検討者のどのような相談に乗れますか? 移住者とのつながりが多くあるので、私が架け橋となることができます。また、キャリアコンサルタントの資格と経験を活かして、転職などで悩んでいる方の力にもなれると思います。   ▼小関美穂さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/347/profile ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー:ぱーこ 文:矢井田千秋 編集:西本友