聞いてみた

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【移住者に聞いてみた】長年の夢が現実に。沖縄県浦添市在住 八ツ本真衣さんが移住を決断したワケ

今回のflatoの移住経験者インタビューでは、沖縄県浦添市在住の八ツ本真衣さんにお話を伺いました。 高校生の頃から沖縄暮らしに憧れを抱いていたものの、移住を本気で考える機会はなかった八ツ本さん。ひょんなことから移住を検討することとなり、転職活動のなかで偶然にも沖縄とご縁がつながり、移住に至るまでの心の揺れ動きを詳しく伺いました。 学童支援員とライターの「二足のわらじ」 ー現在の仕事や活動について教えてください。 2020年4月に神奈川県鎌倉市から沖縄県浦添市に移住してきました。浦添市で学童支援員として勤務しながら、副業でライターやフォトグラファーとして活動しています。 ー学童支援員とはどのようなお仕事なのでしょうか? 学童クラブは、放課後に小学生を預かる場所です。私は先生として、宿題のサポートをしたりおやつを出したり、一緒に遊んだりしながら、子どもたちと一緒に生活しています。 ー副業では具体的にどのようなことをされているのでしょうか? 「soar」や「LITALICO発達ナビ」等のメディアで、インタビュー記事やコラムの執筆をしたり、フォトグラファーとしてファミリーフォトやキッズフォトを撮影したりしています。 ーかなり幅広く活動されているんですね!1日のスケジュールを教えてください。 11時に出勤して事務作業を行い、14時半頃から19時まで子どもたちと過ごします。遅くとも20時には退勤して帰宅していますね。出勤時間が遅めなので、朝の時間を自分の自由時間や副業に充てています。 ー移住前から子どもと接する仕事に従事されていたのでしょうか? 学童支援員としての勤務は初挑戦ですが、大学生の頃から子どもに関わる活動を行っており、前職では療育指導員として発達障害の子どもたちを教えていました。その後異動したので、移住直前にはウェブメディアの編集者としてオフィスワーク生活でした。移住を機に「子どもと関わることに戻ってきた」感覚がありますね。 ーそうだったんですね!子どもと接する上でどのようなことを意識していますか? 「大人と子ども」ではなく「ひとりの人間同士」だと思って、関わるようにしています。大人も子どももありのままの自分が尊重される居場所、そして子どもが子どもらしく暮らせる場所をつくりたいですね。 一人ひとり異なる魅力を持つ子どもたち。「ちがい」を大切にできる教育への関心 ー移住前と現在、どちらも子どもと関わってきた八ツ本さんですが、違いを感じる部分はありますか? 一人ひとりの性格にもよるので一概には言えませんが、私が沖縄に来てから関わっている子どもたちは全体的にのんびりしており、人懐こい子が多いと感じます。 例えば「公園に行くよ」と先生が声をかけて、子どもたちの準備の早さにばらつきが生じたとき。さっさと準備を終えた子たちが、いつまでも準備できない子たちに怒り出すのではと思って見ていると、みんななんとなくのんびりと待っているんですよね(笑)。 ー他にも違いを感じたことはありますか? 東京と比べると、人との距離感の違いを感じることはよくあります。 学童の初出勤日から、子どもたちが人懐こく、私の膝の上に乗ってきたのには驚きました。これまでの経験だと、初対面の大人に心を開くまで時間のかかる子たちも多かったので。 子どもが知らない大人にオープンに話しかける場面もよく見かけます。学童の小学1年生が、初対面の中学生や工事現場の作業員に「兄ちゃんどこ行くの〜?」「(足場での作業を見て)うわあ、忍者みたい!」と気軽に話しかけていたり(笑)。このオープンさは子どもに限らなくて、私の日焼けに気づいた保護者の方が「先生、焼けている方がいいね!」と満面の笑みでグッドマークを作ってくださったこともありました。 ーフレンドリーな子どもが多くて素敵ですね!子どもと関わるようになったきっかけは何ですか? はじめのきっかけは、大学1年生のときから参加している、東日本大震災の震災遺児・孤児とキャンプをするボランティアだと思います。以前から子どもに関わることに興味はあったのですが、そのボランティアをきっかけに子どもとの接点が増え、関われば関わるほど面白くなっていきました。 その後は、塾や「キッザニア東京」というテーマパークでアルバイトをしたり、小学校でボランティアをしたりしました。 ー継続的に子どもに関わっていたんですね。その中で、どのようなことを感じましたか? 子ども一人ひとりが持つ感じ方や考え方に触れることが、面白かったです。自分自身が子どもたちに気づかされること、教わることも多く、「人と関わっているときの私自身が1番元気だ」と気づきました。 一方で気になったのは、「みんなと同じではない」という理由で浮いてしまったり、怒られてしまったりする子どもたちでした。本人なりに頑張っていたり、その子だけが持っている感性があったりするのに、一つの枠にはめられて否定されることに違和感があって。 ー新卒ではLITALICO社に入社されたそうですが、どのようなところに惹かれたのでしょうか? 『障害のない社会をつくる』というビジョンのもと、すべての人の可能性が最大に拡がる社会の仕組みを築こうとする会社の方向性と、当時の私が大切にしたいことがマッチしていたことが大きなポイントでした。「個のちがいを認め、互いに受け入れられるような教育や場所に関わりたい」と思い始めた頃にLITALICO社と出会ったんです。 ービジョンへの共感が大きかったんですね。そこではどのような仕事をしていたのでしょうか? 入社から2年間は現場で療育指導員として働き、別の部署で半年過ごした後、退職までウェブメディアの編集部に所属していました。指導員だった頃「文章で発信することもやってみたい」と思って副業でライターを始めたのですが、いざ異動して本業も書くことになると、「子どもと関わる仕事もやりたい」と思ってしまって。 きっと、「文章などで表現すること」と「子どもと関わること」の両方をやっているのが幸せなんだと思います。 教育への想いがたぐり寄せた「長年の夢」 ー現在のお仕事とも繋がりますね!移住を考え始めたのはいつ頃でしたか? 現実的に考えるようになったのは2020年2月頃ですが、実は高校生の頃から沖縄が好きで、大学受験のタイミングで親に琉球大学への進学を相談したほど住んでみたかったんです。「いつかは沖縄へ」と常々思っていました。 ー東京で育った八ツ本さんが沖縄に興味を持ったのは、何がきっかけだったのでしょうか? 今振り返ると、はじめのきっかけは小学生のときに読んだ灰谷健次郎さんの小説『太陽の子』だと思います。戦後、神戸に暮らす沖縄の人たちの物語です。 沖縄独特の文化、悲しい沖縄戦の記憶があってなお人に対して優しい、沖縄の人たちの人柄にとても惹かれてしまって。 ー小説がきっかけだったとは...!実際に沖縄を訪れたこともありましたか? 大学生の頃から年に3回ほど通っていました。4年生のころご縁あって、沖縄県名護市で実施している大自然のなかの子どもキャンプのスタッフをやらせてもらったんです。 そこで見た圧倒的な大自然とのびのびと過ごす子どもたちの様子も、「沖縄に住みたい」という気持ちを強くしました。 ただ、このときも現実的には考えておらず「いつかは」という気持ちでしたね。 ー長年思い続け、移住に踏み切った背景にはどのような心の変化があったのでしょうか? 一度離れていた子どもと関わる現場に、また戻りたい。できれば、子どもたちの暮らしに近いところで、隣に居られるような環境で働きたい。 そのような思いから2020年内に転職すると決めて、1月末頃に自分の考えと合致する保育園や学童を探し始めました。 ーまずは転職を考えるところからスタートしたんですね。初期配属の現場に戻る選択ではなく転職しようと考えたのはなぜですか? 前職の現場は、決めた目標に向けて子どもたちを支援し、スキルを身につけさせることを求められる場所でした。本当に学びが多くやりがいのある仕事でしたが、違うスタンスで子どもと関わることにも挑戦してみたいと思ったんです。 「子どもたちが自由に過ごしている空間に、私自身を混ぜてもらうような環境」を子どもキャンプのボランティアなどで経験したのがおもしろくて、それに近い場所に行ってみようと考えました。 移住しない理由を並べていた過去の自分。「いつか」はいつなのか ー現在の勤め先はどちらで知ったのでしょうか? 友人がFacebookで学童支援員募集の投稿をシェアしているのをたまたま見つけたんです!共感できるポイントが多い友人だったため、「この子のおすすめは、きっと私も魅力を感じる可能性が高いだろう」という直感がありました。詳しく見てみると、なんと募集拠点は埼玉と沖縄...!とはいえ、この時点では「埼玉なら通勤しやすいのでは」と思い、まずは社長とオンラインでお話しました。 ー運命的な出会いですね!勤務地はどのように決めたのでしょうか? 実は、私が話を聞いたときには既に埼玉の人員は充足しており、残るは沖縄のみだったんです。社長から「沖縄勤務は難しいですよね」と聞かれ、私は間髪入れず「ちょっと待ってください」と。 その瞬間から、初めて移住を真剣に考えました。 ーさらなる偶然が!その後、どのようなことを考えられましたか? これまで沖縄に住むことを先延ばしにしてきた理由が、頭の中に全て浮かんできました(笑)。 本気で移住しようと思えばこれまでもできたはず。一歩を踏み出せなかったのは、「移住しない理由」を見つけては「今はタイミングじゃない」と自分に言い聞かせていたからだ、と気づきました。「友達と会えなくなるから」「県外の人が受け入れてもらえるだろうか」「行動範囲が狭くなりそうだから」「給料が低くなるから」など...。 ーなるほど、これまでの悩みが全て出てきたんですね。 それらのことを考えているうちに、「移住しない理由が解決するのっていつなの?」と思うようになりました。タイミングは今じゃないと思い続けてきたけれど、タイミングがいいときっていつなんだろう、いつ来るんだろう、と。 ー確かに…。移住することを、誰かに相談してみましたか? 当時のシェアメイトに相談したのですが、「めちゃくちゃいいじゃん!」と即答でしたね(笑)。「いつか住みたい」と言っているだけでは、この先何をしていてもその想いを引きずることになるよ、と。何も一生沖縄に住むと決める必要はないんだから、住んでみるなら早ければ早いほどいい、と背中を押されました。 ー心強い言葉ですね。 移住しても、違和感があればまた元の場所に戻ることはできますし、年齢を重ねると動きにくくなるかもしれないと考えると、「まず住んでみよう」と思うようになりました。社長の話を聞いてから移住を決断するまで、1週間の出来事でした。 移住して気づいた心地よいワークライフバランス ー移住決断後、まず初めに何をしましたか? 現職に移住の意思が固まったことを伝え、前職に転職の意向を話しました。その後に家を探したのですが、たまたま那覇市にある学童の拠点で働く現職の同僚が、私の代わりに内見してくれたんです。私は内見にオンラインで参加したのですが、今っぽいですよね。 ー移住準備を進めるにあたり、気になった点や不安に感じたポイントはありましたか? 引越し費用が気がかりでしたね。それまでシェアハウスに住んでいたので、そこまで大きな自前家具はありませんでしたが、離島に移動する場合、引っ越し業者に依頼すると10万円以上かかるんです。そのため、全てゆうパックで対応しました。 また、ペーパードライバーであることも不安でしたね。沖縄は電車がないので、車が大事な交通手段。引っ越し先で家具を新調しても運ぶ手段がないのでは、と心配でした(笑)。 ー移住先の方とのコミュニケーションに関して、想像と実際のギャップはありましたか? 移住する前は、沖縄の人は内々の繋がりを非常に重んじるイメージを持っていたため、「内地からきた先生」として敬遠されないかと不安に思っていました。実際にはそのようなことはなく、むしろ、移住した理由を興味津々で聞いてくれることも。大人も子どもも本当にフレンドリーに接してくれます。 一方で、街を歩いていると「内地の人?どこから来たの?」と聞かれることも多く、ネガティブなことを言われるわけではないのですが、なんとなく肩身の狭い思いをすることも。 これまでの歴史を振り返り、日本のなかで沖縄がどのような扱いを受けて来たのか、どのような思いで文化を守って来たのかと考えると、「内地の人」という言葉を重く感じてしまうことはあります。 ー移住前と移住後で、ご自身が最も変わったのはどのようなところでしょうか? 仕事と私生活における心のあり方、ですかね。以前は、バリバリ働く周りの空気に合わせて「追い込まなきゃ」「頑張らなきゃ」という気持ちもあったのですが、沖縄に移住してからは仕事と向き合うスタンスにゆとりを持てるようになりました。仕事に費やす時間が多かった生活から、ワークライフバランスが均等になりましたね。 また、イライラしている人と会わなくなったことで、ストレスが減りました。都内で働いていた頃は満員電車に乗る機会が多かったため、せかせかしている人やイライラしている人と出会う確率も多かったんです。時間に追われる雰囲気が、実はストレスになっていたんだ、と移住を通して気づきました。 ー最後に、移住検討者のどのような相談に乗れるか教えてください。 パラレルワーカーとしてどのような生活を送っているのか、どのような繋がりで仕事を得ているのか、1日の時間の使い方についての相談はお任せください!副業全般について気軽に相談してもらえると嬉しいです。 また、ペーパードライバーだからこそ、移動手段に困っている方や、車の運転に自信がない方からの相談もお待ちしています! ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼八ツ本真衣さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/126/profile インタビュー、文:青木空美子 編集:りこぴん

【移住者に聞いてみた】東京&和歌山県田辺市の2拠点生活 奥川季花さんの強い地元愛

今回のflatoの移住経験者インタビューでは、和歌山と東京で2拠点生活をされている奥川季花さんにお話を伺いました。 もともとは、地元和歌山県は好きではなかった奥川さんが、なぜ和歌山に帰る決断をしたのか。今後の展望も含めて、たっぷり語っていただきました。 林業を通して災害のリスクを減らす ー現在の仕事や活動について教えてください。 現在は「ソマノベース」の代表をしています。ソマノベースとは、土砂災害のリスクを林業を通して減らすために展開している事業です。その中で私は、現場に出向いて林業家さんのつながりを増やしたり、お仕事につなげたりする役割を担っています。 林業家さんの後方支援をしながら、林業や木材に関わる分野で事業展開していますね。事業の一つが、木材を使ったブレンドティーのセットを販売して、木・木材・森林などをより身近に感じてもらうための「茶繋木(ちゃつなぎ)」です。 ー「林業」にとどまらず幅広く活動されているんですね。 本当はもっと深く林業の世界に入りたいと考えていますが、私自身林業の経験がありません。なので、現在は林業の会社に2つ所属しつつ、ソマノベースで「林業を身近にできる活動」を行っています。 今後は、林業の現場に実際に入ることも含めて林業に深く取り組みたいです。 ー「現場に入る」とは興味深いですね。所属している2社ではどのようなことをされていますか? 1つは和歌山にある会社で、育林業(木を植えたり山を育てたりする)を事業の中心としています。主に広報や総務が私の担当ですね。 もう1つの会社では、育林業と森林管理をおこなっています。現状は、1つの山を複数の林業家さんが管理する、管理が煩雑になっているのですが、それを1つに集約していくのがその会社の役割です。 その会社で私は、広報活動や情報発信を担当しています。 水害の経験が地元への気持ちを変えた -林業に興味を持つきっかけは? 元々地方創生に興味があり、大学では、ビジネスの勉強や観光面の分野を勉強していました。「地元を良くしたい」という考えがありましたね。 ただ、林業に興味を持ったきっかけは水害でした。私が住んでいた那智勝浦町では、毎年のように台風被害が発生します。特に、高校1年生のときの台風で水害が発生し、友達の家が流され、さらには大切な後輩が命を落としてしまいました。 それを機に、水害について調べてみると、水害は土砂災害との関わりが深く、土砂災害を減らすためには林業がカギとなるとわかったんですね。 以降、林業に関心を持ち、林業の世界に足を踏み入れました。 大学3年からは山に通ったり林業家さんの話を聞いたりして、少しずつ活動をはじめていましたね。が、地元にとって本当にいいことは災害を無くすことだと考えました。 -そんな出来事があったのですね。「地元で林業をやる」と自然と決められたのでしょうか? 実は、もともと地元は好きではなかったのですが、友人が亡くなったり、いつも見ていた風景が失われたりしたことで、自分の中に地元への想いが芽生えたのだと思います。 また、ボランティアをするなかで、この町を守りたい気持ちが芽生え、「地元で林業」という考えに至りました。 -大学卒業後は、一直線で林業に取り組まれた形ですか? いえ、大学を卒業した後は福岡にあるソーシャルビジネスの会社に就職しました。新卒でも林業で起業したいと考えていましたが、私自身林業の経験がなかったんですよね。 まずは事業の立ち上げを経験する意味も込めて、最初はアパレルの新規事業を立ち上げました。 林業を始めたのは、そのアパレルの会社で1年勤めた後です。 「地元の人たちが望むことは何か」を考え続けた大学時代 ー大学は京都の大学に行かれたということですが、地元を離れた理由は何かありましたか? そもそも、県内には和歌山大学しかなかったので、県外の大学への進学が通例でした。また、那智勝浦町は観光業が盛んだったので、観光を活かした防災ができないかと考え、有名な先生がいる同志社大学商学部に入学しました。 ー大学では、地方創生にまつわる活動はされていましたか? 学生団体を作り、地方創生の活動を行なっていました。地元の高校生と地域の大人たちが、自分の住む町についてディスカッションする取り組みです。 「田舎だし都会にも出にくいしつまらない」と高校生の私は思っていましたが、大人たちは自分の住む場所のいいところを知っているはず。 大人たちが高校生に町のいいところや働き方を伝えることで、「地域愛が育まれればいいな」と思い活動していました。 ー実際に地元のためになる活動をされていたのですね。 そうですね。ただ、学生団体の活動の中で「地方創生が本当にやりたいことなのか」と思うことが増えました。「地方創生」という言葉は抽象度が高く、枠組みも広いですよね。私は「地元の人が本当に望む活動が何なのかを考え、それに合わせた活動をしたい」と思い、結果的に2年で学生団体の活動を終えました。 その後は大学でソーシャルマーケティングを学び、「地元で起こる災害をどうすれば減らせるか」「災害が発生した場合はどのように避難するか」など、人々が抱える問題や意識を解決するためのマーケティングを勉強しましたね。 卒業後は、ソーシャルビジネスを展開する福岡の会社に就職しましたが1年で退職し、現在の林業の会社に転職することになりました。しかし、入社時期が翌年にになるとのことだったので一度妹が住む京都に移り、そこでソマノベースの立ち上げ構想を考えていたのです。その後、関西にいた創業メンバーが全員東京に移ることになっていたので、私も東京へ移動して事業を始めました。 その後、東京ではソマノベースの活動、和歌山では林業という生活を送ることとなり、現在所属する会社がある田辺市に移住した流れとなります。田辺市には祖母が住んでおり、毎年田辺市には足を運んでいたので、馴染みのある場所に帰ってきた感覚です。 生活スタイルに合う地域を選ぶことが重要 ー同じ和歌山県内でも、地元の那智勝浦町と田辺市での「違い」を感じたことはありますか? 田辺市は移住者が多い町で、田辺市以外の人もたくさんいます。その点は地元と違う点だと感じますね。馴染みやすい環境が整えられていると感じます。 実際、これまでコミュニケーションの部分で苦労したことがありません。困ったら助けてくれる人がいるので、本当に良い場所だと思います。 ー移住をするうえで、何か考えておくべきことなどはありますか? 自分に合う生活スタイルを考えることは大事だと感じます。私は今でも東京に行くことがありますが、田辺市に住んでいれば1時間30分ほどで東京に行くことができるので便利です。 要するに、生活の「理想像」を考えて、移住先を選ぶといいかなと思いますね。私の理想像は「田舎にも都会にも暮らしていたい」だったので、田辺市が適したエリアだと言えます。 ー最後に、奥川さんなら移住検討者のどういった相談に乗れると思いますか? 田辺市に住む人とつながりたい、会社とつながりたいという想いがある人には寄り添えると思います。田辺市につながる「人」の紹介はできます。 和歌山県内のことは把握しているので、「海の近くで生活したい」といった要望を教えていただければ、その要望が実現できるエリアの紹介もできると考えています。 林業や自然に関わる仕事に関心のある方もぜひご相談ください! ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼奥川季花さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/116/profile インタビュー:青木空美子 文:西本友 編集:りこぴん

【移住者に聞いてみた】「移住のハードルを下げたい」山梨県北杜市在住 山本瑞人さんが貫くリモートワーカーとしての人生

今回のflatoの移住経験者インタビューでは、山梨県北杜市在住の山本瑞人さんにお話を伺いました。 通勤に疑問を感じたことをきっかけに、リモートワークに目覚めた山本さん。 「移住と定住は別」と言い切る山本さんの、リモートワークへの想いと、移住に対する熱い気持ちを語ってくれました。 憧れだった、自然豊かな田舎暮らし ー現在の仕事や活動について教えてください。 あるIT企業で、HRサービスの事業を担当しています。企業の採用業務支援を行うリクルーター業務とと、マーケターとして顧客を増やす2つの業務に携わっています。また、副業でスタートアップのマーケティングも手伝っています。主に、Web広告運用やマーケ施策の考案を担当していますね。 ーお勤めの会社では、「社員のほぼ全員がリモートワーク」だと伺いました。 そうなんです!2019年1月に入社したのですが、僕が山梨県に住んでいることもあり、他の社員とオフラインで会ったことがありません。前職でもリモートワークをしていた時期があったので、かれこれ1年半ほどリモート勤務をしています。 ー今っぽい働き方ですね...!1日の過ごし方が気になります。 土日祝日が休みで、平日は7時〜16時の間で8時間働いています。16時〜17時は副業に時間をあて、17時に子どもを保育園まで迎えに行きます。子どもが帰宅してからは、ファミリータイムですね!ご飯を作り、食べて、お風呂に入って少し遊んだら寝る。5時半〜6時頃起床、21時就寝と、健康的な生活を送っています。 休日は、家族で買い物や公園、川などに行って過ごすことが多いですね。 ー理想的な生活ですね!今の生活で好きな点を教えてください。 自然豊かなところですね。 僕は大阪生まれ東京勤務だったので、田舎暮らしに憧れていたのですが、イメージしていた生活が移住で実現した感覚です。都会に住んでいた頃は、休日に遠出をしてキャンプなどに行っていたのですが、今の家からすぐ山や川、キャンプ場に着くので、もはや生活の一部と化しています。また、田舎だと家賃が安いことも助かっていますね。 通勤への疑問と、リモートワークとの出会い ーもともと大阪で暮らしていた山本さんが、東京勤務になった背景には何があったのでしょうか? 新卒で入社が決まっていた会社で、元々大阪勤務の予定だったのですが、「東京に枠が空いたからそっちで働かない?」と声をかけられたのがきっかけです。驚きはしたものの、それまでずっと大阪で育ち、「いつかは地元以外の場所で生活してみないとな」と思っていたところだったので同意しました。その会社で4年ほど営業マンとして勤務した後、株式会社ベーシックへ転職し、そのまま東京生活を続けた、という流れです。 ー前職でもリモートワークをされていたとのことですが、いつ頃からでしょうか? 退職前の約半年間ですね。後ほど理由を説明しますが、転職と移住を考えていることを素直に会社に伝えたところ、「移住しても仕事が続けられるように」と僕にリモートワークの枠を設けてくれました。なので、移住したはじめの頃は、前職でリモート勤務していたんです。 ー珍しいケースですよね。実際やってみてどうでしたか? 僕自身はやりやすかったのですが、社内で特例的に認められた働き方だったため、マイノリティーとして扱われている感じもありました。そんな中、Twitterで偶然今の会社に出会い、強烈に惹かれて転職をすることにしたのです。また、妻が先に勤めていて、その働き方を間近で見ていたので、触発されたのは大きかったですね。 ーどのような点に惹かれたのですか? リモートワークを全面的に支持しているスタンスですね。テレワークと移住で、僕自身の生活がかなり良くなったこともあり、「僕もリモートワーカーを増やしたい!」と思いましたね。 ーそもそも、リモートワークという働き方を意識し始めたきっかけは何ですか? 東京で広い物件への引越しを考え始めた時、家賃高過ぎ、と感じたのがきっかけです。2DKでそこそこキレイな物件探してたら、時短で働いてる妻の給与ぐらいの家賃で... 当時は板橋に住んでいたのですが、家賃を下げたいと思ったら都市部から離れた場所に物件を探しますよね?和光市ならどうなのか、その先の川越ならどうなのか、どこまで遠くなら行けるのかと。 そこで、ふと思ったんですよね。 「仕事の都合さえつけば、どこでも住めるんじゃない?」って。 幸いWeb業界に身をおいていて比較的リモートワークが身近な立場だったので、その道を模索し始めました。 ーリモートワークに切り替えたことで通勤時間がなくなったと思いますが、どのような効果がありましたか? 通勤が無いメリットは大きいですね。 まずは、夫婦ともにフルタイムで働けたこと。保育園への送り迎えがあると、どうしてもどちらかが時短にならざるを得ませんでした。 また、単純に通勤時間分、私の場合は1日往復2時間ほど費やしていた時間が浮きました。家族との時間や副業に時間を使えるので、とてもありがたいです。 (東京時代の住まいの写真) 家族のために。揺るがなかった移住への想い ー移住について既に触れていただいていますが、移住を考え始めたのは何がきっかけでしたか? 移住自体は、夫婦ともに「いつかはしたいねー」という気持ちではいましたが、仕事があるので現実味をもって検討はしていませんでした。 が、先ほど話したとおり、住宅の都合もありリモートで働く環境を求め、手に入れたことで住む場所の制限がなくなったため、急速に現実味をもって話をはじめました。 ー現在住んでいる場所は、どうやって探しましたか? 実は、山梨県北杜市に住むことは早い段階から決めていました。僕と妻が山があり自然豊かな環境をイメージしていて、北杜市が合致したんです。また、北杜市なら、万が一東京で仕事があっても2時間で行けますし、妻の実家がある埼玉県にも近く、この地理的条件も決め手の一つです。さらに、北杜市は当時、移住したい街として注目されており、移住者人口も多いであろうと思っていたので、これから移住する僕たちにとっては安心でした。 ーイメージがあったからこそ早く決められたのですね。とはいえ縁がない街で、家はどのように探しましたか? 市営団地の新築物件に住んでいるのですが、入居者募集のタイミングで、運よく抽選に当たったんです。子育て世帯向けの賃貸住宅を調べていたときに、ちょうど見つけたのが今の家でした。こればかりはラッキーでしたね。 移住はただの引っ越し。構える必要はない ー移住にあたり、決断に迷う方も多い印象ですが、山本さんはどうでしたか? 迷いはありませんでした。仕事の都合はついていたので、住む場所さえ決まればあとは引っ越すだけ!という気持ちでしたね。 ーすぐに移住を決められた要因は何ですか? 「まず移住しちゃおう」と考えられたことですね。 僕たちにとっては、どこに移住するかよりも、東京から離れて自然豊かな土地で住むことを優先させたので、場所選びで迷うよりも「とりあえず移住する」ことに集中していました。また、リモートワーカーなので、移住した土地に合わなければ、また別の場所に行けばいい。これくらい気軽に考えられたことが要因だったと思います。 ー「移住」に対するハードルを下げることが大切なのかもしれませんね。 「移住」という言葉の裏に、オーガニックや農業のイメージが隠れていると感じています。そういった「移住らしさ」を定義づけてしまうと、かえって移住のハードルを上げる要因になってしまいます。移住によって変わる、仕事、土地、文化など分けて考え、何がリスクになって、逆に何を得られれば必要十分なのかを自分の基準で考えることで、もっと楽に移住を決断できると思っています。 ーflatoの考え方にも通ずる素敵なお話です。移住の前後で、生活面やマインド面の変化はありますか? 外食する場所がないので、自炊する機会が増えましたね。また、意外なことに来客が増えました!東京にいた頃は「いつでも会えるから」と、つい疎遠になりがちでしたが、移住後は友人と会う頻度が増し、今では来訪がイベント化しています。いいことだなと思いますね。 ーありがとうございます。最後に、移住検討者のどのような相談に乗れるか教えてください。 土地に強いこだわりがない方であれば、移住のハードルを下げたお話ができると思います!また、場所選定の基準や家探しの方法についても、お話しできます。 特に、「どこに住むべきか」よりも「どう住むべきか」といった相談は任せてください!「移住」という言葉によってハードルが上がっているだけで、移住は言い換えると「引っ越し」です。単なる土地の問題であって、文化的な背景を含んだ移住を求めていない方には、どのようなネックを解消する必要があるのか、リスク回避の方法、などの相談に乗れると思います。 ー心強いですね。移住検討者が一歩を踏み出せるようなアドバイスがあれば、ぜひ教えてください。 僕は、地方移住がよりカジュアルなものになればと思っています。 移住の裏には「チャレンジする」という意識が隠れていますが、現状から逃げる手段として使ってもいい。田舎では待機児童の問題や高い家賃、人混みや渋滞もなく、東京生活では当たり前に強いられたことから逃げることができます。そのように、都会暮らしが合わなかった方が気軽に移住すれば良いと思います。 仕事以外に制約が少ない状況にあるのであれば、とりあえず移住してみるだけでも価値があります。「あの時やっていれば」と後悔するよりも、まずやってみて合わなければまた元の生活に戻る、くらい気軽に考えてみてほしいです! ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼山本瑞人さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/165/profile インタビュー:角田尭史 文:青木空美子 編集:りこぴん

【移住者に聞いてみた】「移住に導いたのは人との出会い」と語る、長野県塩尻市在住 湯浅章太郎さんの移住論

今回のflatoの移住者インタビューでは、長野県塩尻市在住の湯浅章太郎さんにお話を伺いました。 生まれも育ちも東京で、地方生活に興味を持ちながら会社員時代を過ごしていた湯浅さん。前職で参加したイベントでの出会いが導いた、塩尻への移住について語ってくれました。 面白い人が集まる地域で送る充実した生活 ー現在の仕事について教えてください。 「Localist Tokyo」というFacebookグループで、都内でのイベント企画・運営をサポートしたり、地域に関心がある東京在住の人同士がコミュニケーションを取れるコミュニティを作ったりしています。 今は長野県塩尻市に住みながら、オンラインイベントの配信やライブ交流会の開催に力を入れています。 ー普段はどんな生活をしていますか? 「人との交流」を意識した生活ですね。 今は都内との行き来が自由にできないため、塩尻市の方と関わる機会が多くなりましたね。 例えば、「東京に行けないからこそ、塩尻の皆さんとコミュニケーションをもっと取りたい」と思い、4月に市内のレタス農家さんのところに収穫作業を手伝いに行きました。普段は出会えない地元の農家さんと交流し、生活についてお話を聞くことができました。 また、基本的にイベントの開催時間に合わせて生活しているので、「遅寝遅起き」になりがちです。生活習慣が乱れることもありますが、充実した毎日を過ごせています。 ーオンラインとオフライン、2つの交流を楽しんでいるのですね。塩尻のどこが気に入っていますか? 「自分にとって面白い人」がたくさんいることですね。 塩尻には、市が運営する「スナバ」という施設があります。一言で説明するのは難しいのですが、コワーキングスペースの機能を持った、行政と市民の事業共創拠点と言えばいいかな? そこに出入りする会員さんや運営スタッフの皆さんは僕にとって面白い人が多く、お互いにやりたいこと自身の事業課題を共有しながら交流する場になっています。 新しいものをまちに生み出していこうとする画期的なアイデアを持つ人もいて、こうした施設がある塩尻は素敵な街だと思います。 何事にも興味を持って、理想の実現に努めた東京時代 ー「Localist Tokyo」を立ち上げるまでに、都内で5回も転職をしたそうですね。 はい。「今どのような仕事がしたいか」を第一に、そのときに応じて仕事先を選び、分野にとらわれずに転職を重ねていました。例えば、広告代理店やスマートフォンアクセサリーのバイヤーなど。 思い返してみれば、「働かされている」という感覚がなく、自分に合った居場所を常に求めていたのかもしれません。 ー5回の転職で行き着いた前職では、どのような仕事をしていましたか? 大手人材会社で公共事業を運営するを担当し、都内の若者の地方就職をサポートしていました。 しかし、東京以外の地域をテーマにした事業には携わったこともなく知識もなかったため、勉強をしに地域のイベントに積極的に参加しました。気づいたら100回以上行ってましたね(笑)。 この努力のお陰か、学生向けの就職イベントの企画運営を任されるようになりました。 ー熱量がすごいです!そこまで一生懸命に取り組めたのはなぜですか? 「良い仕事をするためには、まず業務に興味を持つことが大事だ」という、広告代理店時代の上司の言葉を教訓にしているからです。 実際にクライアントさんに「良い採用ができました」と感謝された喜びが忘れられず、「売上を上げるよりも、やりがいのある仕事がしたい」と思っていた自分の心に深く刻みつけられました。 どんな仕事も興味を持って理解することで、クライアントさんの課題をジブンゴトとして考えることができるようになり、結果的に仕事に対して真剣に取り組むことができたんです。 するつもりのなかった移住へ導いた「人との出会い」 ーその後、独立して「Localist Tokyo」を立ち上げることになった経緯を教えてください。 地域活性化や移住などをテーマにしたイベントに参加している中で、自分と同じように地域に関心を持つ人は多いものの「都内で情報交換をしたり、コミュニケーションを取ったりする場所がない」と気づき、お互いに交流できるような場作りに踏み切りました。それが「Localist Tokyo」です。 試しに交流会をおこなうとイベントの告知から約4時間で定員数に達し、需要は予想以上でした。「Localist Tokyo」を本格的に始動させたのはそこからですね。 ー率先して場を作る姿勢が素敵ですね!それから、塩尻に移住したきっかけは何ですか? 後に、古民家をリノベーションしたシェアハウス「信州塩尻中山道贄川 宿場noie坂勘」を作った たつみ かずきさんのイベントに参加したのがきっかけです。 イベントを通じて交流を深めていくうちに、「塩尻でシェアハウスの開業をする」という話を聞いたんですよ。 ちょうどその頃、サラリーマンをやめて独立して、地域と東京の人をつなぐイベントやコミュニティ作りの仕事をしようと考えていたので、仕事に生かすためにも地域に暮らす経験をしたかったんです。たつみさんは地域の面白そうな人とつながっていたので、僕もそこに参加するのが地域に溶け込む近道だと考えました。 ー移住の決め手は「人」だったんですね。 はい。「『Localist Tokyo』をより発展させるための知識や経験を得られるはずだ!」とワクワクして塩尻に移住しました。 ちなみに、僕がそのシェアハウスの住民第一号です(笑)。 実際、塩尻での毎日が楽しく、「移住してきて良かった」と改めて実感しています。 移住のスタートは「人探し」がおすすめ ー移住前後で、自身にどのような変化がありましたか? 近隣住民とのコミュニケーションの取り方が変わりました。 東京では近隣住民との交流は一切なく、顔も知らないのが当たり前だったのが、塩尻では無意識のうちにコミュニケーションを取っていました。 あるとき、近所のおじいちゃんおばあちゃんの様子を見にいったところ、家の中に呼ばれて1~2時間も話したことがあったくらいです。 地域全体で互いの生活を支えていこうとする田舎特有の距離感の近さが、東京とは大きく異なるところですね。 ー東京ではなかなか味わえない体験ですね。 また、地域のお祭りに参加したときには、高いところでの作業が苦手なおじいちゃんおばあちゃんを手伝ったところ、とても喜んでくれました。 行動や言動でみずからコミュニケーションを取りに行く重要性を理解し、「挨拶」をファーストステップに積極的な地域住民との交流を心がけています。 ーありがとうございます。今、移住を検討している人に伝えたいことは何ですか? 「地域や移住先の住まいなどを探すよりも、まず先に『人』を探すこと」です。 人との出会いから、仕事や生活が大きく変化します。実際、自分が塩尻に移住したことで、都内で生活していたよりも日常が豊かになりました。 ぜひイベントや交流会への参加から、「この人となら関わりたい」と思えるような人を探してみてください。 ―最後に、移住を検討するどんな方の相談に乗れると考えていますか。 移住する前の準備に悩んでいる人です。 例えば、「相談できる相手がいない」と悩んでいる人に、移住先に出向かなくても真剣に移住を視野に入れることができる方法。 さらに、相性が合いそうな人をつなげて『人』探しの仲介をすることもできますよ。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼湯浅章太郎さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/32/profile インタビュー:青木空美子 文:島内未来 編集:りこぴん

【移住者に聞いてみた】「地域に根ざした仕事がしたい!」石川県加賀市在住 篠崎健治さんが掴んだ念願の夢

今回のflatoの移住者インタビューでは、石川県加賀市在住の篠崎健治さんにお話を伺いました。 幼い頃から地方への関心が高く、全国転勤の銀行員として充実して働きながらも、「地域に根ざした仕事をしたい」という夢と葛藤していた篠崎さん。 加賀への移住につながった”偶然の出会い”について語ってくれました。 地域に密着したストレスフリーな生活 ー現在の仕事について教えてください。 フリーランスとして、まちづくりや場づくり関連の会社でコンサルタントをしたり、不動産設計会社でバックオフィスを担当したり、前職(銀行員)の知識を活かして会計事務もしています。 また、まちの産業観光イベントの事務局として、地域を盛り上げるためのイベントの企画を務めるなど、幅広い活動をしています。 ーかなり幅広い活動で忙しそうな印象を受けますが、普段はどのような生活をしていますか? 平日休日関係なく仕事をしていて、どの仕事にも熱を注げるように1日ごとに作業内容を分けながら働いています。 休み無しのハードなスケジュールというわけでもなく、セルフマネジメント力が必要ですが、フリーランスならではの柔軟な調整でストレスを溜めない生活が送れています。 ー生活の中で、特に気に入っているポイントは何ですか? 「山中温泉」という温泉街の共同浴場『総湯』です。 家が温泉街に近いこともあり、自宅の風呂かのように頻繁に利用しています。 仕事で疲れた体を癒やせるだけでなく、地元住民とすぐに打ち解けられ、「地域に密着している」と実感できるので気に入っていますね。 ーそれは面白いですね。 例えば、商売を営む方と話すと、加賀市に根付いた商売文化を理解することができますし、知らず知らずのうちに住民の小話が聞けるのも、ローカルならではの面白さです。 「地域のためになる仕事がしたい」葛藤の銀行員時代 ー前職では、銀行員として金融機関に勤めていたそうですね。 はい。大学では経済学を専攻し、また、兄と姉が銀行員だったこともあり、この仕事に就きました。 ー入社まもなく秋田県に住むことになったそうですが、見知らぬ土地へ行くことに抵抗はありませんでしたか? いえ。むしろ、全国各地で働きながら生活ができる制度に惹かれて就職したので、すんなりと受け入れることができました。 生まれも育ちも横浜で、幼い頃から「地方ののどかな自然や雰囲気を体感してみたい」と漠然と思っていたんです。 ー都会にはない、地方ならではの魅力を感じてみたかったんですね。 そうですね。実際に住んでみると、雪が降る光景に感動したり、秋田県民の人柄を知れたりと刺激的な毎日でしたね。 一方で、シャッター商店街の景色や人の少なさを目の当たりにし、衝撃を受けました。 このような光景はニュースで見たことがありましたが、リアルに地方衰退問題の深刻さを痛感させられ、そこから「自分がこのような地域のためにできることはないか」と考えるようになりましたね。 ーその想いが強くなったきっかけは何ですか? 偶然、秋田で東京の高校時代の同級生に会ったことです。 彼は、自ら興味を持って地元でもない秋田に訪れ、地域を盛り上げようと地域おこし協力隊として活動していました。 詳しく話を聞き、その壮大な活動内容や活動に対する想いをいきいきと語る彼の姿に、僕の胸が熱くなったんです。 そこから「自分も地域のためになる活動がしたい!」という想いがはっきりと芽生えました。しかし、すぐには実行できず、「会社を辞める勇気なんてない」とただ悶々とするばかりでした。 偶然見つけた投稿をきっかけに叶えた、理想の働き方 ーそんな中、今度は福井県に転勤することになったそうですね。 はい。知らない土地で新たな発見やつながりを得られると思うと、ワクワクが止まりませんでした。 実際に生活してみると、福井は秋田よりも規模の小さい地域だったので、住民との関係性を早く深められ、友達もすぐにできました。とても居心地が良かったですね。 ー秋田とはまた違う生活を体験できたんですね! ですが、仕事の面では、次第に仕事自体のやり方に違和感を持つようになりました。慣れが生じてしまったせいか、上司のハンコをもらうことに意識が向いてしまって、お客さんのためになっているかどうかに悩みを抱えるようになりました。 仕事自体は楽しかったのですが、職場では心の拠り所となる仲間が一人もいなく、息苦しさを感じていたんです。 ー生活と仕事にギャップがあったのですね。 そうですね、そこで「地域に関わる仕事だったら楽しんで働けるはずだ」と、思い切って 働き方にシフトすることを決意しました。 ちょうどそのころ、「銀行員の仕事は安定している反面、将来の道筋が逆算的に見えてつまらない」と感じていたので、ちょうどよい機会だと思いましたね。 ーそこから、石川県加賀市への移住に至ったきっかけを教えてください。 友人がFacebookでシェアした、『Next Commons Lab』という団体の投稿をたまたま見たことです。 投稿には「ポスト資本主義」「移住先で自ら生業を作る」といったプロジェクトの内容が書かれてあり、見た瞬間に「こういうのがやりたかったんだ!」と気持ちが高ぶったのを覚えています。 また、拠点の石川県加賀市は福井に近かったため、「コミュニティとも継続して関わることができる」と思い、説明会に参加してみることにしました。 そこからトントン拍子で採用が決まり、気がついたら1ヶ月後には移住。今までやりたかったことが一瞬にして叶ったので、驚きましたね(笑)。 目的意識を持って移住の実現へ ーついに、長年抱えていた夢の実現に乗り出したんですね!実際に移住してみてどうでしたか? はじめは、仕事に慣れるのに苦労しましたね。 最初に担当したのは、地域おこし協力隊の制度を利用した「移住起業家を募集する」仕事。加賀市に移住して間もない自分にはハードルが高く感じられました。 実際、経験やノウハウがないまま、移住者を呼び込む施策を考えるのはとても大変でしたが、やりがいがあり楽しかったです。 ー移住前後で、自身にどのような変化がありましたか? 仕事に対する意識が明確に変わりました。 たくさんの人や環境に触れていくうちに、本当に自分がやりたかったことが何かが少しずつわかるようになりました。地域を元気にするのは「ヨソ者・若者・馬鹿者」とよく言われますが、自分の中であんまりしっくり来ていなくて、本当は全部逆だと思っています。自分のような移住者は、いかに地域に寄り添いながら、地元の人・コト・モノをいかに輝かせるかが大事だと考えています。地域に足りないものを突きつけるのではなく、一緒に探せるようにフットワーク軽く精力的に仕事に励んでいます。 ーありがとうございます。今、移住を検討している人に伝えたいことは何ですか? 「移住の目的を明確に持とうとすること」ですね。 移住は一つのライフイベントで、誰もがすぐに実行できるものではないでしょう。実際に、私が約5年間も想いを抱いていたように、新たなスタートを切るまでにとても長い年月がかかりました。 しかし、「なぜ移住をしようと思ったのか」「移住したら自分はどうありたいか」を考えたことで、次第に目的意識を持つようになり、確かな行動に変わっていったんです。移住は、ゴールではなく手段であって、人によっては長い人生における実験の一つくらいなのかもしれないので、ビジョンを持つこと(今はなくてもビジョンを持とうとすること)が大事だと思っています。 試しに、「どうありたい?」と「なぜ?」を持ってみることから始めてみてください。自分の中で、何かしらの変化が生まれるかもしれません。 ―最後に、移住を検討するどんな方の相談に乗れると考えていますか? 地方での仕事の作り方に興味があったり、テレワークをきっかけに地方移住を考えたりしている人、また、かつての自分のように今の立ち位置に違和感を抱えている人です。 やりたいことを実現させるには勇気が必要ですが、実現後のイメージをポジティブに感じられる支えになりたいと思います。 また、相談を通して「一緒に働きたい」と思ってくれるような方が出てきてくれたら嬉しいですね! そんな仲間と、この記事を通じて出会えたら何よりの幸せです。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼篠崎健治さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/239/profile インタビュー:青木空美子 文:島内未来 編集:りこぴん

【移住者に聞いてみた】岩手県陸前高田市在住 古谷恵一さんがたどり着いた「本来の自分らしさ」

今回のflatoの移住経験者インタビューでは、岩手県陸前高田市在住の古谷恵一さんにお話を伺いました。 震災の爪痕が残る陸前高田を訪れたことをきっかけに、地元のおばあちゃんから運命ともいえる言葉をかけられた古谷さん。 「移住=定住ではない」と気づき、移住を決意したそうですが、そこには心温まる移住背景や地域愛がありました。 来訪者と地元の人、双方にメリットのある交流づくり ー現在の仕事や活動について教えてください。 『一般社団法人マルゴト陸前高田』でコーディネーターを務めています。この地域に来てくれる人を増やし、交流人口を増やすことを目指しています。一度来てくれた人が、地元の人たちと交流することで、その後もこの地域に「帰りたい」「繋がっていたい」と思ってくれるような機会を作っています。 ー具体的には、どのような業務を担当されていますか? 民泊事業に携わっています。ホテルではなく、地元の人が住む民家に宿泊していただき、地域内外の交流促進を図っています。主に修学旅行生や企業の研修、外国人が対象ですね。 ーどのようなことを心がけていますか? 来てくれる方の情報を事前に収集して、この地域の過ごし方を伝えたり、受け入れてくれる地元の方に知らせて接点を作ったりしています。その中で、僕は「受け入れる側のメリット」を考えることを大切にしています。観光分野は、どうしても来てくれる人だけのものになりがちですが、本来は双方にいいことがないと続かないものだと思うんです。 ー来る側と受け入れる側、両方が気持ちいい関係であるべきなのですね。 そうですね。特に、陸前高田市は、2011年の東日本大震災で甚大な被害が出ました。来訪者を受け入れる家庭の中にも、家を流されて再建された方や、ご家族を亡くされた方も多くいらっしゃいます。このような事実も含めて、事前に知った上でお越しいただけるように気をつけています。 ー普段はどのような生活をされていますか? 基本的に平日9時〜18時勤務ですが、観光業という特性上、週末に仕事をして平日に休むこともありますね。休日は、りんご農家さんのお手伝いや、海も近いので漁師さんの手伝いをしたり、地元の人とご飯を食べたり、はたまたスキーをしたりと、人と会うことが多いですね。 ー素敵ですね。移住歴4年目とのことですが、現在の生活でどの部分が好きですか? もともと自然が好きなので、山や川が近くにあるのは嬉しいです。田舎ならではの、お裾分け文化も好きですね。都会に住んでいた頃は、「誰かが作ったものである」という意識を持つことがありませんでしたが、ここで生活するようになって、「大事に食べよう!」と感じるようになりました。   前職のハードワークで感じた将来への不安 ーもともとご出身はどちらですか? 関西地方です。ですが、家族が転勤族だったので、大阪、東京、スイス...などいろいろな場所に住んでいました。 大学を卒業後は、東京にある予備校の校舎運営として働きました。校舎長としてマネジメントをしたり、生徒の募集、大学受験指導、保護者面談など、多岐に渡って従事していました。 ー進路選択に向けた、重要な役割ですね。 僕が高校3年生のとき、将来の具体的な目標や目的を持つことができなかったんですよ。その経験から、「受験の段階から将来について考えたり学んだりできる機会がないだろうか」と考えていた時に、この仕事と出会いました。「こんなことを考えている予備校があるんだ!」と驚いたのを覚えています。もともと教育に興味を持っていたこともあり、入社を決めました。 ー熱い想いがあったのですね。そんな古谷さんが、移住を考え始めたのはいつ頃ですか? 予備校の仕事を辞めたタイミングです。 4年半の間、かなりハードに働いていました。生徒が受験勉強に励む週末や夏休み・お正月こそ、僕たちは勤務します。休日は少なく、それまでの交友関係が疎遠になっていく中、「この先ずっとこの仕事を続けていっていいのだろうか」と違和感を覚えるようになったんです。とはいえ、次の当てがあるわけではなかったので、いろいろな人に会いながらネクストキャリアを模索していました。そんな時に『マルゴト陸前高田』の存在を知り、移住を意識し始めました。 運命の再会と「移住=定住、ではない」という気付き ー陸前高田市のことは、その時はじめて知ったのですか? いえ、大学生の頃にアカペラサークルの活動で訪れたことがありました。震災の3年前にあたる、2008年が最初の出会いです。地元のおばあちゃんに可愛がってもらったのを覚えています。 ー古くから交流があったのですね。 震災後にも訪れたのですが、更地になってしまった東北を見たときは驚きました。僕の知っている街ではないようでした。その光景を見て、呆然とする僕に、一人のおばあちゃんが近寄ってきてこう言ったんです。 「あんた、昔来てたよね」と。 ー覚えてくれていたんですか!? そうなんです!「覚えていてくれたんだ。こんなことあるのかな」と思いました。都会と違って、別の土地から来た人のことは印象に残りやすいのが地方ですが、そうは言ってもビックリですよね。 ーそんなことがあるのですね。その時どんなことを思いましたか? 「街自体は変わってしまったけれど、地域の人のあたたかさは変わっていないんだな」と感じました。同時に、この地域について、もっと深く知っていきたいと思ったんです。『マルゴト陸前高田』の活動は、地域の認知度向上を目指すものなので、僕自身も学びを深めつつ、周りに広げていけることに魅力を感じました。ここで移住への関心度が一気に高まりましたね。 ー導かれているようですね!とはいえ、移住に抵抗感はありませんでしたか? ありましたね。移住した方のインタビュー記事で、「ここで骨を埋める気があるのか」と言われたエピソードを読んで、「そこまでの覚悟はないな...」と思うこともありました。そんなとき、既に移住していた知り合いから「移住=定住、じゃなくていいんだよ」という一言をもらったことで、気持ちが楽になりました。 ー今移住を考えている人が一番聞きたい言葉かもしれませんね。 そうですね。僕自身、この言葉をきっかけに、「今自分が住みたいからこの場所にいる、これって自然なことだよな」と思うようになりました。また、どこか別の場所に移るかもしれないけれど、まず移住してみるのもいい経験になるかもしれないと感じましたね。 ー移住までの過程で、古谷さんは実際どんな準備をしましたか? 僕の場合は、すでに移住している先輩に、仕事の制度や住む場所について質問しました。地域おこし協力隊に応募して移住したのですが、この制度も最初は全く知らなかったんですよ。住居も、仮設住宅に空きがあると教えてもらったことで、安価で綺麗な住まいを確保することができました。たくさんの情報を集めて移住の準備をしましたが、先輩の情報がなかったら、移住したくてもできていなかったと思います。 移住してはじめて気付いた「本来の自分らしさ」 ー移住前と比較して、どのような変化がありましたか? 今の方が自分らしいな、と感じています。 小学生の4年間を過ごしたスイスの田舎町が、ちょうど今の環境と似ているんです。振り返ると、都会に住んでいた頃は、都会用に自分を合わせていたなと思います。地方の環境が心地よく、都会で暮らしていた自分は自分らしくなかったんだと、移住を通して気づきました。 ー移住をきっかけに、本当の自分を知ったんですね。移住した後だからわかる、移住を考える上で大切なことは何ですか? 「自分のやりたいことが移住先にあるかどうか」を考えることですね。今は難しくても、先々で挑戦できそうなこと、起業したいなら起業するネタや環境があるか、など考えるといいでしょう。また、「この人みたいに生きたい」「この人みたいな生活をしたい」と思える人の存在も重要ですね。 ーそういう人にちゃんと出会えるのか、という不安もある気がしますが、その点はいかがでしょうか? そう思いますよね。僕も最初はそう思っていました。でも、力を貸してくれる人は必ずいます。やりたいことは声に出して、仲間を集って挑戦したらいいのでは、と今では思えるようになりましたね。 ー素敵なお話をありがとうございました。最後に、移住検討者のどのような相談に乗れるか教えてください。 移住先の探し方、田舎暮らしの相談はお任せください! 特に、被災地への移住を検討している方には、詳しくお話ができます。近年、日本全国各地で災害が発生しています。この状況と比例して、田舎で働きたいと感じる方も出てくると思っているので、まずは気軽に相談してもらえると嬉しいです。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ インタビュー:角田尭史 文:青木空美子 編集:りこぴん
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浜松は都会?田舎?地方在住フリーランスの暮らしに最適な理由とは?

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こんにちは! 静岡県浜松市で活動をしているフリーライターのNaoです。 私は2013年に東京から浜松に移り住みました。 移住生活も7年目となり、仕事を通じて浜松の暮らしやすさを実感しています。 そこで今回は「都会と田舎のいいとこどり」ができる浜松の魅力をお伝えします。 地方在住フリーランスに嬉しいメリットもたくさんあるので、移住を悩んでいる方はぜひ参考にしてください。 浜松は都会と田舎のいいとこどり みなさんは浜松というと都会と田舎、どちらのイメージをお持ちでしょうか? 私は東京から浜松に来たとき「想像していたよりも都会だな~!」と感じました。 浜松の中心地には商業施設や飲食店がそろっており、電車やバスなどの交通手段も充実しています。 駅周辺は夜でも明るく、人通りもあるので不安に思うこともありません。 その一方で広々とした公園が多く、少し足を延ばすと浜名湖やフラワーパークなど自然を満喫できるスポットがたくさんあります。 都会の利便性と美しい田舎の自然を同時に楽しめることが、浜松の魅力ですね。 商業施設がそろっている浜松駅前 移住してからは、都心と変わらない浜松の便利さに驚かされています。 浜松駅前には駅ビルのメイワンや遠鉄百貨店、ビックカメラなど大型の商業施設が隣接しています。 急に必要となったデジタル機器や取材先への手土産も手軽に購入できるため、いざという時も安心です。 私のおすすめスポットは、メイワン8階にある書店・谷島屋。 話題の新刊から専門書まで幅広くそろっているため、仕事に活用できる1冊が手に入ります。 エクセルシオールカフェが併設しているところも、フリーランスやノマドワーカーには嬉しいポイントです。 浜松市街を一望できるカフェで本を読んだりPC作業をしたりするだけで、最高の気分転換になりますよ。 リーズナブルな家賃で快適な環境に住める 地方在住フリーランスは自宅で仕事をする方も多いですよね。 私も在宅ワーカーなので、快適に過ごせる家選びにはこだわりました。 駅からの距離やコンビニの有無も重要なポイントです。 小学生の娘がいるワーキングマザーでもある私は、子供の通う小学校までの距離や通学路の安全性も気になりました。 さらに自分の生活に合う物件を選ぶ際には「家賃がいくらなのか」も外せません。 家賃は毎月かかる固定費なので、少しでも安いほうが嬉しいもの。 浜松は都心に比べると家賃が安く、ワンルームであれば3~4万円で借りられます。 ファミリー物件も、10万円前後からそろっています。 (ちなみに東京都渋谷区のファミリー物件の家賃は30万円以上……) 現在私は子供の小学校から徒歩5分、駅までは歩いて10分ちょっと、そしてコンビニは目の前という物件で生活中です。 「この暮らしは、都心ではなかなか手に入らないよね」と地方在住フリーランスの生活を満喫しています。 東京、大阪へも新幹線で約1時間半 浜松駅には東海道新幹線が停車するため、東京にも大阪にも約1時間半で行くことができます。 私はリモートワークで仕事をしていますが、定期的に東京のクライアントさんを訪問して打合せをしています。 東京や大阪に行くことで、トレンドを自分の目で確かめたりクライアントさんと直接話をしたりできるため、とても良い刺激になっています。 確かに距離はありますが、新幹線なら移動はあっという間なところも嬉しいですね。 子供が大きくなるころには、都心と地方の両方で活躍できる「2拠点フリーランス」になることが私の目標です。 そのため都心へのアクセスが便利な浜松は、私にとって最適な場所なのです。 最後に 今回は私が暮らす浜松の魅力を、地方在住フリーランスの視点からご紹介しました。 移住を考えるときには自分の目指す暮らし方をイメージして、交通の利便性や商業施設の有無、自然環境との近さをリサーチしてみましょう。 「地方は不便かもしれない」と不安を感じていても、実際に暮らしてみると意外と都心と変わらない生活ができるものです。 家賃の安さや人混みが少ないことなど、地方のメリットもたくさんあります。 本格的な移住をする前に、お試しで短期間暮らしてみるのもおすすめです。 生活をしてみることで、本当に自分に合う土地かどうかがわかりますよ。

【1ヶ月分の滞在費が無料!】ふらっと住0円体験キャンペーン受付開始!

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株式会社FromToが提供するふるさと開拓サービス「flato(ふらっと)」が、2020年6月限定のふらっと住無料体験者の募集受付を開始します。 キャンペーンの概要 応募期間 2020年3月4日(水)〜2020年3月11日(水) キャンペーン参加可能人数 8人 滞在期間 2020年6月1日(月)〜2020年6月30日(火)のうち最低28日間 滞在中にご協力頂きたいこと ・オウンドメディアの更新 ・弊社メンバーと一緒にコンテンツの制作サポート ・SNSでの発信 ・入居者、現地人との交流会の参加(BBQ等) 応募方法 1. flatoのTwitterアカウント(@flato_iju)をフォロー 2. キャンペーンツイートをリツイートし、滞在期間中にやりたいことをコメント 365BASE OUTDOOR HOSTELについて 今回のキャンペーンの滞在先である365BASE OUTDOOR HOSTELは、「アウトドア」をテーマにしたゲストハウスで、以下のように充実した設備となっております。 ・駅から徒歩4分 ・完全個室 ・洗濯機、冷蔵庫、ミニキッチン完備 ・共有部分のキッチンでは調理器具や調理家電、食器類等も充実 ・アウトドアグッズに囲まれたオシャレな環境 ・コーヒーやミネラルウォーターが無料 ・駐車場あり 通常であれば1ヶ月間の滞在では10万円(※)ほどかかってしまうのですが、今回のキャンペーンではなんと0円で滞在することが出来ます! ※シーズンや実際の滞在日数によって金額は変わります 【キャンペーン特典】ふらっと住体験ユーザー限定のサービス 今回浜松にてふらっと住をしてくれる方限定で、下記のオフィスを無料で利用することができます! はままつトライアルオフィス(浜松駅) 天竜トライアルオフィス(天竜二俣駅・二俣本町駅) 浜松市舞阪サテライトオフィス(弁天島駅) 上記オフィスについて詳しい情報が知りたい方は、以下の記事を参考にしてください。 地方だからこその働き方ができる?!浜松市のワーケーションスポットをご紹介! ふらっと住って? ふらっと住とは、気になる場所に試しに”ふらっと”住むことができる新しいライフスタイルです。 約1か月間と期間を短く設定することで、「まずその土地を知り、関係性を築く住んでから拠点考える」ことから始め、自分の新しいふるさとをつくることが可能になります。 応募の流れ 以下のフローに沿って、ふらっと住を体験していただきます。 ご注意事項 ・当選発表は、当選者へのダイレクトメッセージをもってかえさせて頂きます。 ・浜松までの交通費はご自身で負担いただきます。 ・万が一滞在中に問題を起こした場合は、キャンペーンを中止する場合がございます。 ・ふらっと住期間中に浜松を一時的に離れることも可能ですが、最大3日間までとします。 ・本キャンペーンは20歳以上の方に限ります。 ・期間中は弊社スタッフも常駐しておりますので、何かあれば直接相談することも可能です。 オンライン質問会やります! キャンペーン開始に合わせ、「ふらっと住ってよく分からない!」「もっと詳しく知りたい!」そんな方のためにオンライン質問会をTwitterのライブ配信にて実施致します。 それに伴い、事前の質問受付も開始致します!! * 質問会に関して ────────────── 1.開催日: 2020年3月5日(木)19時〜  20時 2.参加方法: flatoのTwitterアカウント(@flato_iju)にてTwitterライブ配信を行うので、 flatoのTwitterアカウント(@flato_iju)をチェックの上、19時になったら、そちらよりご参加ください。 ※顔出し必須ではありません。ラフな感じの配信となるため途中からでもお気軽にご参加、ご視聴ください♪ 3.内容: ・ふらっと住について ・滞在先(365BASE)について ・浜松市について ・頂いた質問に対する回答 ※内容は変動する可能性がございます。予めご了承ください。 キャンペーンに応募しようか悩んでる...っという方は、ぜひこの機会に是非不安なところを解消してください ♪ * 事前質問受付に関して ────────────── 上記開催に合わせて、事前に今回のキャンペーンに関する質問を受付致します。 事前質問に関しては、以下にて受付致します。頂いた内容は、質問会当日にご回答させていただきます!! 事前質問はこちら 匿名での質問が可能です! 「キャンペーンに応募しようか悩む…」、「ふらっと住自体がよく分からない」という方はぜひこの機会に不安なところを解消してください♪

【移住者に聞いてみた】「地域に根ざした仕事がしたい!」石川県加賀市在住 篠崎健治さんが掴んだ念願の夢

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今回のflatoの移住者インタビューでは、石川県加賀市在住の篠崎健治さんにお話を伺いました。 幼い頃から地方への関心が高く、全国転勤の銀行員として充実して働きながらも、「地域に根ざした仕事をしたい」という夢と葛藤していた篠崎さん。 加賀への移住につながった”偶然の出会い”について語ってくれました。 地域に密着したストレスフリーな生活 ー現在の仕事について教えてください。 フリーランスとして、まちづくりや場づくり関連の会社でコンサルタントをしたり、不動産設計会社でバックオフィスを担当したり、前職(銀行員)の知識を活かして会計事務もしています。 また、まちの産業観光イベントの事務局として、地域を盛り上げるためのイベントの企画を務めるなど、幅広い活動をしています。 ーかなり幅広い活動で忙しそうな印象を受けますが、普段はどのような生活をしていますか? 平日休日関係なく仕事をしていて、どの仕事にも熱を注げるように1日ごとに作業内容を分けながら働いています。 休み無しのハードなスケジュールというわけでもなく、セルフマネジメント力が必要ですが、フリーランスならではの柔軟な調整でストレスを溜めない生活が送れています。 ー生活の中で、特に気に入っているポイントは何ですか? 「山中温泉」という温泉街の共同浴場『総湯』です。 家が温泉街に近いこともあり、自宅の風呂かのように頻繁に利用しています。 仕事で疲れた体を癒やせるだけでなく、地元住民とすぐに打ち解けられ、「地域に密着している」と実感できるので気に入っていますね。 ーそれは面白いですね。 例えば、商売を営む方と話すと、加賀市に根付いた商売文化を理解することができますし、知らず知らずのうちに住民の小話が聞けるのも、ローカルならではの面白さです。 「地域のためになる仕事がしたい」葛藤の銀行員時代 ー前職では、銀行員として金融機関に勤めていたそうですね。 はい。大学では経済学を専攻し、また、兄と姉が銀行員だったこともあり、この仕事に就きました。 ー入社まもなく秋田県に住むことになったそうですが、見知らぬ土地へ行くことに抵抗はありませんでしたか? いえ。むしろ、全国各地で働きながら生活ができる制度に惹かれて就職したので、すんなりと受け入れることができました。 生まれも育ちも横浜で、幼い頃から「地方ののどかな自然や雰囲気を体感してみたい」と漠然と思っていたんです。 ー都会にはない、地方ならではの魅力を感じてみたかったんですね。 そうですね。実際に住んでみると、雪が降る光景に感動したり、秋田県民の人柄を知れたりと刺激的な毎日でしたね。 一方で、シャッター商店街の景色や人の少なさを目の当たりにし、衝撃を受けました。 このような光景はニュースで見たことがありましたが、リアルに地方衰退問題の深刻さを痛感させられ、そこから「自分がこのような地域のためにできることはないか」と考えるようになりましたね。 ーその想いが強くなったきっかけは何ですか? 偶然、秋田で東京の高校時代の同級生に会ったことです。 彼は、自ら興味を持って地元でもない秋田に訪れ、地域を盛り上げようと地域おこし協力隊として活動していました。 詳しく話を聞き、その壮大な活動内容や活動に対する想いをいきいきと語る彼の姿に、僕の胸が熱くなったんです。 そこから「自分も地域のためになる活動がしたい!」という想いがはっきりと芽生えました。しかし、すぐには実行できず、「会社を辞める勇気なんてない」とただ悶々とするばかりでした。 偶然見つけた投稿をきっかけに叶えた、理想の働き方 ーそんな中、今度は福井県に転勤することになったそうですね。 はい。知らない土地で新たな発見やつながりを得られると思うと、ワクワクが止まりませんでした。 実際に生活してみると、福井は秋田よりも規模の小さい地域だったので、住民との関係性を早く深められ、友達もすぐにできました。とても居心地が良かったですね。 ー秋田とはまた違う生活を体験できたんですね! ですが、仕事の面では、次第に仕事自体のやり方に違和感を持つようになりました。慣れが生じてしまったせいか、上司のハンコをもらうことに意識が向いてしまって、お客さんのためになっているかどうかに悩みを抱えるようになりました。 仕事自体は楽しかったのですが、職場では心の拠り所となる仲間が一人もいなく、息苦しさを感じていたんです。 ー生活と仕事にギャップがあったのですね。 そうですね、そこで「地域に関わる仕事だったら楽しんで働けるはずだ」と、思い切って 働き方にシフトすることを決意しました。 ちょうどそのころ、「銀行員の仕事は安定している反面、将来の道筋が逆算的に見えてつまらない」と感じていたので、ちょうどよい機会だと思いましたね。 ーそこから、石川県加賀市への移住に至ったきっかけを教えてください。 友人がFacebookでシェアした、『Next Commons Lab』という団体の投稿をたまたま見たことです。 投稿には「ポスト資本主義」「移住先で自ら生業を作る」といったプロジェクトの内容が書かれてあり、見た瞬間に「こういうのがやりたかったんだ!」と気持ちが高ぶったのを覚えています。 また、拠点の石川県加賀市は福井に近かったため、「コミュニティとも継続して関わることができる」と思い、説明会に参加してみることにしました。 そこからトントン拍子で採用が決まり、気がついたら1ヶ月後には移住。今までやりたかったことが一瞬にして叶ったので、驚きましたね(笑)。 目的意識を持って移住の実現へ ーついに、長年抱えていた夢の実現に乗り出したんですね!実際に移住してみてどうでしたか? はじめは、仕事に慣れるのに苦労しましたね。 最初に担当したのは、地域おこし協力隊の制度を利用した「移住起業家を募集する」仕事。加賀市に移住して間もない自分にはハードルが高く感じられました。 実際、経験やノウハウがないまま、移住者を呼び込む施策を考えるのはとても大変でしたが、やりがいがあり楽しかったです。 ー移住前後で、自身にどのような変化がありましたか? 仕事に対する意識が明確に変わりました。 たくさんの人や環境に触れていくうちに、本当に自分がやりたかったことが何かが少しずつわかるようになりました。地域を元気にするのは「ヨソ者・若者・馬鹿者」とよく言われますが、自分の中であんまりしっくり来ていなくて、本当は全部逆だと思っています。自分のような移住者は、いかに地域に寄り添いながら、地元の人・コト・モノをいかに輝かせるかが大事だと考えています。地域に足りないものを突きつけるのではなく、一緒に探せるようにフットワーク軽く精力的に仕事に励んでいます。 ーありがとうございます。今、移住を検討している人に伝えたいことは何ですか? 「移住の目的を明確に持とうとすること」ですね。 移住は一つのライフイベントで、誰もがすぐに実行できるものではないでしょう。実際に、私が約5年間も想いを抱いていたように、新たなスタートを切るまでにとても長い年月がかかりました。 しかし、「なぜ移住をしようと思ったのか」「移住したら自分はどうありたいか」を考えたことで、次第に目的意識を持つようになり、確かな行動に変わっていったんです。移住は、ゴールではなく手段であって、人によっては長い人生における実験の一つくらいなのかもしれないので、ビジョンを持つこと(今はなくてもビジョンを持とうとすること)が大事だと思っています。 試しに、「どうありたい?」と「なぜ?」を持ってみることから始めてみてください。自分の中で、何かしらの変化が生まれるかもしれません。 ―最後に、移住を検討するどんな方の相談に乗れると考えていますか? 地方での仕事の作り方に興味があったり、テレワークをきっかけに地方移住を考えたりしている人、また、かつての自分のように今の立ち位置に違和感を抱えている人です。 やりたいことを実現させるには勇気が必要ですが、実現後のイメージをポジティブに感じられる支えになりたいと思います。 また、相談を通して「一緒に働きたい」と思ってくれるような方が出てきてくれたら嬉しいですね! そんな仲間と、この記事を通じて出会えたら何よりの幸せです。 ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼篠崎健治さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/239/profile インタビュー:青木空美子 文:島内未来 編集:りこぴん

【イベントレポート】地域を知り、地域に入り込む暮らしとは??~次の暮らしを考える交流会~

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最近、地方移住への関心が高まる中で「地域や移住に興味はあるけど、地域になじむのは難しそう」と感じる方が多くなっています。 そんな不安を払拭するため、2020年8月5日にオンラインイベント 「地域を知り、地域に入り込む暮らしとは??~次の暮らしを考える交流会~」を開催しました。   これまでと同様、株式会社はじまり商店街様、同社代表の柴田大輔さん全面協力のもとイベントが開催しました。 今回のゲストは、「地方複住」「居候男子」という肩書きを持ち、今まで国内20の地域に滞在した木津歩さん。ユニークなアイデアで地域に溶け込む木津さんのお話は必見です! ▼flatoはこちらからアクセスhttps://flato.jp/ 「地方複住」で地域にコミットした事業を展開 最初に木津さんが語ったのは「居候男子」の実態と、地域住民との関係性を深めていく方法について。 「居候男子」のはじまりは、友人からの誘い。当時勤めていた建築設計事務所の仕事を辞めたタイミングで、「うちのシェアハウス住む?」と誘われたことがきっかけだったそうです。その後、別の友人からヘルパー募集を聞き、拠点を移動。 多拠点生活の楽しさに次第にハマっていき、「居候男子」と自身で名付けて活動し始めた木津さん。仕事は知り合いから紹介してもらったり自分で探したりしながら、国内各地に約1ヶ月ごとに滞在する生活をしていたそうです。 独立後に掲げたテーマは「地方複住」。根無し草のように各地を転々とする「線の滞在」から、以前訪れた地域を積極的に再訪する「円の滞在」へと移行していきました。 現在は、都内の映像制作会社『AOI TYO Holdings』にある事業研究開発チーム『Pathfinder』でテレワークをしながら、業務分野の1つの「地方」を担当し、事業の研究開発をしています。チームの中で木津さんは「ローカルリエゾン」という役割を担い、まちのコミュニティに関わりながら地域の現状や課題などをリサーチしたり、珠洲市の歴史を学んだりしているそうです。 さらに、珠洲市に友人が訪れた際には、まち案内や現地に住む人の紹介などもしています。 移住場所は、人のつながりで決めるのが木津流 ここからは、木津さんが参加者の質問に答えていきます。 ー『関係人口契約』って何ですか? 木津「まず関係人口とは、地方創生の文脈で近年注目されている、交流人口と移住人口の間の人口を定義したものです」 宮城「つまり旅行以上、移住未満ですね」 柴田「関係人口の言葉の定義はあいまいで、各自治体が解釈しながら使っているため理解するのは難しい」 木津「関係人口契約とは、僕が兵庫県香美町のNPO法人と結んでいる契約です。定義が曖昧な関係人口をあえて契約によって定めて、(主に遠隔で)様々なプロジェクトを一緒に進めています」 ー拠点を変えるときの決め手を教えてください。 木津「知り合いや友人の紹介ですね。『面白い』と思った人との交流に軸を置き、新しい発見を求めて多拠点生活をしています」 ー「円の滞在」(以前訪れた地域で再び暮らす)にしたことで、どのような変化がありましたか? 木津「地域に住む方の受け入れ方が変わりましたね。その地を離れてから仕事のお誘いをいただいたり、コミュニケーションの深度が上がったように思います」 柴田「会う回数とコミュニケーションによって、信頼度が上がりますよね」 ー珠洲市の魅力は何ですか? 木津「住民が皆、『珠洲市がどんな場所か』を詳しく語れること。エリアごとに独自の特徴や文化を持っていて、地域住民と話をする度に新しい発見があります」 ーこれから移動生活をする人に何かアドバイスはありますか? 木津「心と体の状態を保つことですね。1ヶ月おきに地域を移動する中で、次第に心と体が疲れていくので、生活のルーティンを守る必要があります」 柴田「拠点を移る前にあらかじめ次に訪れる地域とのつながりを作っておくのがいいですね」 ーどんな場所に住むのがおすすめですか? 木津「シェアハウスやゲストハウスがあるところですね。シェアハウスの仲間がいる安心感の中で、地域住民との交友関係・人脈を広げていくことができます。同時に、生活費や滞在費を抑えることができるのでおすすめです!」 地域に合うのは、人と関わることが好きな人 ここまでの時間でかなり盛り上がったため、パネルディスカッションが短くなったのですが、一つだけピックアップして回答しました。 こんな人が地域に合う 木津さんによると、「人付き合いが好きな人が地域に合う」とのこと。地域の規模が小さいほど関係性が深くなるため、交流やイベントへの参加を心から楽しめる人は合っていると考えています。 それに対し参加者は、「コミュニティ内での距離感は、地方都市くらいの規模の地域で取るのがちょうどいいのかもしれないですね」とコメントしました。 ------ これを機に、木津さんのような居候体験に興味や関心をもった方が多いはず。当社サービス『flato』では、木津さんに地方生活のことを直接相談ができるので、ぜひ一度サイトへアクセスしてみてください。 次の開催は8月25日、逗子のアットホームな雰囲気が漂う心地よいお店、「アンドサタデー」の庄司健吾さん、真帆さん夫妻に登壇いただいたイベントをレポートします!逗子を活気づける数々のイベントを開催したり、まちのガイドブックを制作したりと注目のゲストです。 お楽しみに! ▼木津歩さんへのオンライン移住相談はこちらからhttps://flato.jp/users/56/profile 文、グラフィックレコーディング:島内未来

【移住者に聞いてみた】長年の夢が現実に。沖縄県浦添市在住 八ツ本真衣さんが移住を決断したワケ

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今回のflatoの移住経験者インタビューでは、沖縄県浦添市在住の八ツ本真衣さんにお話を伺いました。 高校生の頃から沖縄暮らしに憧れを抱いていたものの、移住を本気で考える機会はなかった八ツ本さん。ひょんなことから移住を検討することとなり、転職活動のなかで偶然にも沖縄とご縁がつながり、移住に至るまでの心の揺れ動きを詳しく伺いました。 学童支援員とライターの「二足のわらじ」 ー現在の仕事や活動について教えてください。 2020年4月に神奈川県鎌倉市から沖縄県浦添市に移住してきました。浦添市で学童支援員として勤務しながら、副業でライターやフォトグラファーとして活動しています。 ー学童支援員とはどのようなお仕事なのでしょうか? 学童クラブは、放課後に小学生を預かる場所です。私は先生として、宿題のサポートをしたりおやつを出したり、一緒に遊んだりしながら、子どもたちと一緒に生活しています。 ー副業では具体的にどのようなことをされているのでしょうか? 「soar」や「LITALICO発達ナビ」等のメディアで、インタビュー記事やコラムの執筆をしたり、フォトグラファーとしてファミリーフォトやキッズフォトを撮影したりしています。 ーかなり幅広く活動されているんですね!1日のスケジュールを教えてください。 11時に出勤して事務作業を行い、14時半頃から19時まで子どもたちと過ごします。遅くとも20時には退勤して帰宅していますね。出勤時間が遅めなので、朝の時間を自分の自由時間や副業に充てています。 ー移住前から子どもと接する仕事に従事されていたのでしょうか? 学童支援員としての勤務は初挑戦ですが、大学生の頃から子どもに関わる活動を行っており、前職では療育指導員として発達障害の子どもたちを教えていました。その後異動したので、移住直前にはウェブメディアの編集者としてオフィスワーク生活でした。移住を機に「子どもと関わることに戻ってきた」感覚がありますね。 ーそうだったんですね!子どもと接する上でどのようなことを意識していますか? 「大人と子ども」ではなく「ひとりの人間同士」だと思って、関わるようにしています。大人も子どももありのままの自分が尊重される居場所、そして子どもが子どもらしく暮らせる場所をつくりたいですね。 一人ひとり異なる魅力を持つ子どもたち。「ちがい」を大切にできる教育への関心 ー移住前と現在、どちらも子どもと関わってきた八ツ本さんですが、違いを感じる部分はありますか? 一人ひとりの性格にもよるので一概には言えませんが、私が沖縄に来てから関わっている子どもたちは全体的にのんびりしており、人懐こい子が多いと感じます。 例えば「公園に行くよ」と先生が声をかけて、子どもたちの準備の早さにばらつきが生じたとき。さっさと準備を終えた子たちが、いつまでも準備できない子たちに怒り出すのではと思って見ていると、みんななんとなくのんびりと待っているんですよね(笑)。 ー他にも違いを感じたことはありますか? 東京と比べると、人との距離感の違いを感じることはよくあります。 学童の初出勤日から、子どもたちが人懐こく、私の膝の上に乗ってきたのには驚きました。これまでの経験だと、初対面の大人に心を開くまで時間のかかる子たちも多かったので。 子どもが知らない大人にオープンに話しかける場面もよく見かけます。学童の小学1年生が、初対面の中学生や工事現場の作業員に「兄ちゃんどこ行くの〜?」「(足場での作業を見て)うわあ、忍者みたい!」と気軽に話しかけていたり(笑)。このオープンさは子どもに限らなくて、私の日焼けに気づいた保護者の方が「先生、焼けている方がいいね!」と満面の笑みでグッドマークを作ってくださったこともありました。 ーフレンドリーな子どもが多くて素敵ですね!子どもと関わるようになったきっかけは何ですか? はじめのきっかけは、大学1年生のときから参加している、東日本大震災の震災遺児・孤児とキャンプをするボランティアだと思います。以前から子どもに関わることに興味はあったのですが、そのボランティアをきっかけに子どもとの接点が増え、関われば関わるほど面白くなっていきました。 その後は、塾や「キッザニア東京」というテーマパークでアルバイトをしたり、小学校でボランティアをしたりしました。 ー継続的に子どもに関わっていたんですね。その中で、どのようなことを感じましたか? 子ども一人ひとりが持つ感じ方や考え方に触れることが、面白かったです。自分自身が子どもたちに気づかされること、教わることも多く、「人と関わっているときの私自身が1番元気だ」と気づきました。 一方で気になったのは、「みんなと同じではない」という理由で浮いてしまったり、怒られてしまったりする子どもたちでした。本人なりに頑張っていたり、その子だけが持っている感性があったりするのに、一つの枠にはめられて否定されることに違和感があって。 ー新卒ではLITALICO社に入社されたそうですが、どのようなところに惹かれたのでしょうか? 『障害のない社会をつくる』というビジョンのもと、すべての人の可能性が最大に拡がる社会の仕組みを築こうとする会社の方向性と、当時の私が大切にしたいことがマッチしていたことが大きなポイントでした。「個のちがいを認め、互いに受け入れられるような教育や場所に関わりたい」と思い始めた頃にLITALICO社と出会ったんです。 ービジョンへの共感が大きかったんですね。そこではどのような仕事をしていたのでしょうか? 入社から2年間は現場で療育指導員として働き、別の部署で半年過ごした後、退職までウェブメディアの編集部に所属していました。指導員だった頃「文章で発信することもやってみたい」と思って副業でライターを始めたのですが、いざ異動して本業も書くことになると、「子どもと関わる仕事もやりたい」と思ってしまって。 きっと、「文章などで表現すること」と「子どもと関わること」の両方をやっているのが幸せなんだと思います。 教育への想いがたぐり寄せた「長年の夢」 ー現在のお仕事とも繋がりますね!移住を考え始めたのはいつ頃でしたか? 現実的に考えるようになったのは2020年2月頃ですが、実は高校生の頃から沖縄が好きで、大学受験のタイミングで親に琉球大学への進学を相談したほど住んでみたかったんです。「いつかは沖縄へ」と常々思っていました。 ー東京で育った八ツ本さんが沖縄に興味を持ったのは、何がきっかけだったのでしょうか? 今振り返ると、はじめのきっかけは小学生のときに読んだ灰谷健次郎さんの小説『太陽の子』だと思います。戦後、神戸に暮らす沖縄の人たちの物語です。 沖縄独特の文化、悲しい沖縄戦の記憶があってなお人に対して優しい、沖縄の人たちの人柄にとても惹かれてしまって。 ー小説がきっかけだったとは...!実際に沖縄を訪れたこともありましたか? 大学生の頃から年に3回ほど通っていました。4年生のころご縁あって、沖縄県名護市で実施している大自然のなかの子どもキャンプのスタッフをやらせてもらったんです。 そこで見た圧倒的な大自然とのびのびと過ごす子どもたちの様子も、「沖縄に住みたい」という気持ちを強くしました。 ただ、このときも現実的には考えておらず「いつかは」という気持ちでしたね。 ー長年思い続け、移住に踏み切った背景にはどのような心の変化があったのでしょうか? 一度離れていた子どもと関わる現場に、また戻りたい。できれば、子どもたちの暮らしに近いところで、隣に居られるような環境で働きたい。 そのような思いから2020年内に転職すると決めて、1月末頃に自分の考えと合致する保育園や学童を探し始めました。 ーまずは転職を考えるところからスタートしたんですね。初期配属の現場に戻る選択ではなく転職しようと考えたのはなぜですか? 前職の現場は、決めた目標に向けて子どもたちを支援し、スキルを身につけさせることを求められる場所でした。本当に学びが多くやりがいのある仕事でしたが、違うスタンスで子どもと関わることにも挑戦してみたいと思ったんです。 「子どもたちが自由に過ごしている空間に、私自身を混ぜてもらうような環境」を子どもキャンプのボランティアなどで経験したのがおもしろくて、それに近い場所に行ってみようと考えました。 移住しない理由を並べていた過去の自分。「いつか」はいつなのか ー現在の勤め先はどちらで知ったのでしょうか? 友人がFacebookで学童支援員募集の投稿をシェアしているのをたまたま見つけたんです!共感できるポイントが多い友人だったため、「この子のおすすめは、きっと私も魅力を感じる可能性が高いだろう」という直感がありました。詳しく見てみると、なんと募集拠点は埼玉と沖縄...!とはいえ、この時点では「埼玉なら通勤しやすいのでは」と思い、まずは社長とオンラインでお話しました。 ー運命的な出会いですね!勤務地はどのように決めたのでしょうか? 実は、私が話を聞いたときには既に埼玉の人員は充足しており、残るは沖縄のみだったんです。社長から「沖縄勤務は難しいですよね」と聞かれ、私は間髪入れず「ちょっと待ってください」と。 その瞬間から、初めて移住を真剣に考えました。 ーさらなる偶然が!その後、どのようなことを考えられましたか? これまで沖縄に住むことを先延ばしにしてきた理由が、頭の中に全て浮かんできました(笑)。 本気で移住しようと思えばこれまでもできたはず。一歩を踏み出せなかったのは、「移住しない理由」を見つけては「今はタイミングじゃない」と自分に言い聞かせていたからだ、と気づきました。「友達と会えなくなるから」「県外の人が受け入れてもらえるだろうか」「行動範囲が狭くなりそうだから」「給料が低くなるから」など...。 ーなるほど、これまでの悩みが全て出てきたんですね。 それらのことを考えているうちに、「移住しない理由が解決するのっていつなの?」と思うようになりました。タイミングは今じゃないと思い続けてきたけれど、タイミングがいいときっていつなんだろう、いつ来るんだろう、と。 ー確かに…。移住することを、誰かに相談してみましたか? 当時のシェアメイトに相談したのですが、「めちゃくちゃいいじゃん!」と即答でしたね(笑)。「いつか住みたい」と言っているだけでは、この先何をしていてもその想いを引きずることになるよ、と。何も一生沖縄に住むと決める必要はないんだから、住んでみるなら早ければ早いほどいい、と背中を押されました。 ー心強い言葉ですね。 移住しても、違和感があればまた元の場所に戻ることはできますし、年齢を重ねると動きにくくなるかもしれないと考えると、「まず住んでみよう」と思うようになりました。社長の話を聞いてから移住を決断するまで、1週間の出来事でした。 移住して気づいた心地よいワークライフバランス ー移住決断後、まず初めに何をしましたか? 現職に移住の意思が固まったことを伝え、前職に転職の意向を話しました。その後に家を探したのですが、たまたま那覇市にある学童の拠点で働く現職の同僚が、私の代わりに内見してくれたんです。私は内見にオンラインで参加したのですが、今っぽいですよね。 ー移住準備を進めるにあたり、気になった点や不安に感じたポイントはありましたか? 引越し費用が気がかりでしたね。それまでシェアハウスに住んでいたので、そこまで大きな自前家具はありませんでしたが、離島に移動する場合、引っ越し業者に依頼すると10万円以上かかるんです。そのため、全てゆうパックで対応しました。 また、ペーパードライバーであることも不安でしたね。沖縄は電車がないので、車が大事な交通手段。引っ越し先で家具を新調しても運ぶ手段がないのでは、と心配でした(笑)。 ー移住先の方とのコミュニケーションに関して、想像と実際のギャップはありましたか? 移住する前は、沖縄の人は内々の繋がりを非常に重んじるイメージを持っていたため、「内地からきた先生」として敬遠されないかと不安に思っていました。実際にはそのようなことはなく、むしろ、移住した理由を興味津々で聞いてくれることも。大人も子どもも本当にフレンドリーに接してくれます。 一方で、街を歩いていると「内地の人?どこから来たの?」と聞かれることも多く、ネガティブなことを言われるわけではないのですが、なんとなく肩身の狭い思いをすることも。 これまでの歴史を振り返り、日本のなかで沖縄がどのような扱いを受けて来たのか、どのような思いで文化を守って来たのかと考えると、「内地の人」という言葉を重く感じてしまうことはあります。 ー移住前と移住後で、ご自身が最も変わったのはどのようなところでしょうか? 仕事と私生活における心のあり方、ですかね。以前は、バリバリ働く周りの空気に合わせて「追い込まなきゃ」「頑張らなきゃ」という気持ちもあったのですが、沖縄に移住してからは仕事と向き合うスタンスにゆとりを持てるようになりました。仕事に費やす時間が多かった生活から、ワークライフバランスが均等になりましたね。 また、イライラしている人と会わなくなったことで、ストレスが減りました。都内で働いていた頃は満員電車に乗る機会が多かったため、せかせかしている人やイライラしている人と出会う確率も多かったんです。時間に追われる雰囲気が、実はストレスになっていたんだ、と移住を通して気づきました。 ー最後に、移住検討者のどのような相談に乗れるか教えてください。 パラレルワーカーとしてどのような生活を送っているのか、どのような繋がりで仕事を得ているのか、1日の時間の使い方についての相談はお任せください!副業全般について気軽に相談してもらえると嬉しいです。 また、ペーパードライバーだからこそ、移動手段に困っている方や、車の運転に自信がない方からの相談もお待ちしています! ▼flatoはこちらからアクセス https://flato.jp/ ▼八ツ本真衣さんへの移住相談はこちらから https://flato.jp/users/126/profile インタビュー、文:青木空美子 編集:りこぴん