今回の移住者に聞いてみたでは、長野県佐久市在住の小松瑞季(こまつみずき)さんに、南佐久郡小海町で活動されていた時のお話を伺いました。
大学進学と同時に長野から上京した小松さんでしたが、元々は「絶対に戻らない」と決めていたそう。その意志が変わったきっかけや、移住後に感じた変化は必見です。
仕事内容は変わらず日常が濃くなった「リモートワーク×移住」
ー現在の仕事について教えてください。
東京が本社の株式会社さとゆめ(以下さとゆめ)で、地域コンサルタントの仕事をしています。現在は地元である佐久市で仕事をしていますが、2021年1月までは『地域おこし企業人』として小海町役場に出向していました。
ー『地域おこし企業人』とは何ですか?
三大都市圏にある民間企業の社員が、地域の魅力や価値向上のために派遣される総務省の制度です。『地域おこし協力隊』と違い、住民票の異動義務がないことが大きな特徴ですね。私は、この制度でさとゆめから小海町に派遣されました。
ー『地域おこし企業人』には何が求められますか?
コミュニケーション力と度胸と覚悟、だと思っています。私が出向した2018年当時はまだ企業人の要件が厳しかったからか、キャリア経験豊富な方が派遣・出向されているケースも多く、社会人4年目の私はその3つの必要性を痛感しました。一方で、若いうちに裁量権を持ってプロジェクトを進められたのは、とても貴重な経験でした。個人的には、人材育成の一環として活用する企業が増えて欲しいと願っています。
ー派遣先の小海町ではどんなことをしていたのですか?
「憩うまちこうみ」というプロジェクトの立ち上げと運営をやっていました。また、さとゆめの仕事として、リモートワークで他地域のコンサルタント業務も兼務していましたね。
ー小海町とさとゆめの仕事の両立は、大変ではなかったですか?
特に大変なことはありませんでした。東京に住んでいた頃は毎日出勤していたものの、ほとんどデスクワークだったので、「デスクのある場所が、小海町役場に変わった」くらいの感覚でしたね。また、小海町からの新幹線の最寄駅である、佐久平駅から東京までは新幹線で1時間半ほどの距離なので、小海町の営業や他地域の業務で週1回東京へ通っていた時期も苦ではありませんでした。
ー実際に小海町で仕事をして、変化したことはありますか?
自分の仕事の意味や手応えをはっきりと感じられたことですね。東京勤務だと出張しても担当地域への滞在時間はわずかでしたが、移住したことで現地で自ら動くようになりました。結果的に、地域でのつながりと情報量が飛躍的に増えました。
「絶対に戻らない」と決めていたUターン移住への気持ちの傾き
ー長野県出身の小松さんですが、元々Uターン移住は考えていたのですか?
いえ、東京の大学に通っていたときは「絶対に戻らない」と決めていました(笑)。今思うと不思議ですね。
ー今とは真逆の考えだったんですね(笑)。何をきっかけに心境が変わっていったのですか?
大学の友人のおかげですね。大学の夏休みで私が実家へ帰っていたとき、それを見た東京出身の友人が「戻れる長野があっていいな」と言ったんです。私にとって田舎があることは当たり前ですが、友人にはなく、羨ましいとすら思うものなんだ、と。価値観の違いに驚きましたし、見方がガラリと変わりました。
ーなるほど。実家が農家だそうですが、Uターン移住を意識してから家業を継ぐことは考えていたのですか?
こちらも最初は考えていませんでしたが、弟の大学受験がきっかけで、実家の農家を継ぐことを決めました。弟が医学部志望ということを知って、無理に農業への道を進ませるのは違うかな、と思ったんです。私自身も、いつか長野に戻ることは決めていたので、「私が継いでもいいかな」と考え始めてからは、最初は乗り気ではなかった農業に対して前向きになっていきましたね。
ーそこまでUターン移住への気持ちが固まりながらも、東京の企業に就職した理由は何ですか?
まずは東京で様々なな経験を積み、地域に必要とされる人材になりたかったからです。さとゆめで学生インターンをしていた際、農村や漁村でのコンサルティングに携わることがありました。とても楽しく、かつこの経験は将来必ず生かしたいと思ったんです。私は身体が丈夫ではないので、「農家の後継ぎには相応しくないのでは」と悩んでいた中、地元に貢献できるイメージが湧いたためそのまま就職しました。
地域活動への積極参加で得られたつながりと安心感
ー何がきっかけで小海町へ移住することになったのですか?
そろそろ長野に帰りたいと思った頃、ちょうど小海町でのプロジェクト立ち上げが決まりました。会社にはいつか長野に帰りたいという希望をすでに伝えていたので、会社も応援してくれ、地域おこし企業人制度の活用を検討してくれました。その時に制度を初めて知ったのですが、ありがたいタイミングでしたね。
ー実際に移住してみていかがでしたか?
生活が安定して、かつグッと濃くなりました。東京では、繁忙期は終電近くまで働く日もあり、休日は家に引きこもるか外出するか、そんな生活であっという間に時間が過ぎていたんです。しかし、小海町に来てから、仕事以外にもお祭りやビアガーデンなど地域の活動に積極的に参加することで、地域の一員として受け入れてもらう機会が増えました。それが、私自身の安心感にも繋がったと思います。
ー大きくライフスタイルが変わったのが伝わってきます。
はい。また、シーズンによっては、地元の女性が経営するトマト農家へお手伝いにも行きましたよ。日曜日の午前中、3年間通いました。
ーついに農業にも関わり始めたんですね!
家業を継ぐ時の役に立ったら、と思って手伝い始めたんです。そのトマト農家はIT農業をおこなっていて、私の実家とは異なる業態でした。非常に勉強になりましたし、「農業意外と楽しいじゃん!」と思うようになりましたね。
「これまでの経験を活かすために地方へ行く」という考え方
ー現在は地元の佐久市に戻られていますが、3年間過ごされた小海町の魅力を教えてください!
松原湖、白駒の池のような自然はもちろん魅力なのですが、個人的には民族文化、特にお祭りや食は魅力的だと思っています。親沢諏訪神社の春のお祭りには人形浄瑠璃の『三番叟(さんばそう)』があり、200年以上前から伝わっているそうです。
ー住んだからこそわかる魅力ですね。では、現在移住を考えている方にぜひメッセージをお願いします。
移住をするときに気になるポイントとして、仕事や人間関係への不安を挙げられる方が多いと思います。最近は少しずつ地方でも若い人の活躍が見られますが、若い力はまだまだ不足していて、思った以上に活躍できる場があると思っています。2拠点居住やテレワークも進み、東京でできることは地方でもできるようになってきました。地域おこし企業人の制度なども含めて、「これまでの経験を活かして地方に行く」という選択肢を持ってもおもしろいんじゃないかな、と思います。
ーこれからは地方が活躍の場になる、ということですね。人間関係の築き方についてはどう考えていますか?
どの地方にも、しきたりや特有のコミュニケーションは正直あると思います。それでも移住先に関わりたいと思うのなら、地域のイベントなどに足を運んでみてください。地域の人たちのことを理解できる貴重な機会ですから。
ーありがとうございます。小松さんなら、移住検討者のどんな相談に乗れますか?
小海町やその近隣のエリアについては案内ができます。その他だと、農業や伝統文化についての紹介ができると思います。地域らしさが一番見える部分で、かつ私の得意分野でもありますので。
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